2026/07/20

日本のリベラリズムはどこに向かうのか

 



 日本には、1000年以上前から受け継がれてきた祭りや、地域の伝統文化が今なお各地に残されている。伊勢のお木曳、木曽の木を伊勢神宮の建て替えのために20年に一度行われる全市を挙げての行事が今年6月に行われ、毎年7月に京都の祇園祭、東北の3大夏祭りをはじめ全国各地の祭りが続いている。

 人々が同じ綱を曳き、同じ神輿を担ぎ、世代を超えて一つの共同体の一員として参加する。祭りは単なる観光資源ではなく、人と人とのつながりを再確認し、地域への帰属意識を育む文化的な営みである。しかし、人口減少や少子高齢化が進む現在、このような地域共同体は各地で弱まりつつある。地方では若者が都市へ流出し、祭りや伝統文化の担い手も減少している。人々のつながりは希薄になり、都市部でも孤立や将来への不安を抱える人が増えている。


 戦後日本のリベラリズムは、日本国憲法の下で平和主義、基本的人権の尊重、法の下の平等、福祉国家の実現を理念として発展してきた。戦前の国家主義への反省を背景に、権力を抑制し、個人の自由と権利を守ることが重要な使命であった。戦後民主主義と呼ばれるこの理念のもとで、生まれや男女で差別しない平等主義、平和国家、福祉社会の実現を目指した教育が始まった。

 政治の世界では保守派の自由民主党に対して、革新派の社会党が対抗していた。ソ連崩壊の2年後1993年自民党政権に変わって非自民連立政権ができ、政権再編の後自民党と社会党とさきがけ政権が生まれ、社会党は安保容認に政策を変更し、社会党は社会民主党的リベラル政党を標榜する。その後のリベラル派は鳩山由紀夫元首相の民主リベラルを主張する民主党に受け継がれる。2009年民主党が政権についた。当時リベラル派は国民の多数の支持を受けていた。その民主党が消滅し、2017年に立憲民主党が結成された。その柱は護憲と平和主義と、多文化主義を認め、ジェンダー平等を推進し、LGBTQの権利を主張するものであった。リベラル政党の支持は政権を失ってから、増えることはなく、2013年頃から若者を中心にその支持は急速に低下していった。



 戦後日本は民主主義と市場経済を基盤として発展を遂げた。2000年代世界のグローバリズの波を受けて、自由民主党の公共部門の民営化や、グローバリズムに経済政策に対応する政策を進めていった。それに対して日本のリベラル派は、『新自由主義』のレッテルを貼って、全てを否定する方向に進んでいった。 

 日本は、この30年間で、アメリカなどの極端な富の偏在は起こらず、社会全体が貧しくなってきた。上位の1%の層を除くと、日本全体の所得格差は30年間でほとんど変化なく、平均所得の中間値はむしろ減っている。極端な貧困だけでなく、中間層の生活不安も起きてきた。



 安全保障をめぐる国際環境も大きく変化した。ロシアによるウクライナ侵攻や、中国の軍事的台頭など、戦後とは異なる現実が広がっている。平和主義は日本が守るべき重要な理念である。しかし、リベラル派として、それを現実の安全保障政策にどう反影させるかについて明確な政策が打ち出されていない。


 高度経済成長を支えた会社や地域社会も変化し、多くの地域社会では人口の高齢化と、都会、とりわけ東京への人口流失により、大家族の家は減り、伝統文化の支え手も減り、地域でも人々の関わりは次第に小さくなり、多くの人が孤立や将来への不安を抱える社会となっている。これは人口の集中した大都市の中心部やニュータウンでも同じように高齢化し、孤独化は進んでいった。日本型のリベラリズムはこの現実に対応できないでいる。

福祉国家の理想を掲げ、誰も取り残さないという従来の社会的な弱者、貧困層は対策では、一部の層は救済されても、経済的に苦しくなる中間層はリベラル派の視野には入っていなかった。


 科学技術やAIを主要な政策テーマとして前面に掲げてきた印象は弱かった。しかし技術は進む、それに対して個人の自由を守る,人権を守るAI政策を進める必要性が生まれてきた。AIによる産業革命をリベラリズム、個人の自由を損なわず進める政策が必要となる。 そしてリベラル派こそ地方再生を福祉政策だけでなく、国家が富の配分を変えて家族や地域を支え、地方再生を推し進めるための骨太の方針として出すことが必要なのかもしれません。地方の衰退は文化の問題だけではなく、リベラリズム(自由と民主主義)を支える基盤をも危うくするかもしれません。

2026/07/12

アメリカの新思潮 ポストリベラリズム

  アメリカは今年建国250年を迎えた。その祭典はトランプ主義を全面に打ち出した揺らぐアメリカを象徴するものとなった。


 フランシス フクヤマ氏は冷戦の終結に際して「歴史の終わり」の中で、自由民主主義は政治思想の中でイデオロギー的進化の終着点であると述べた。

 それは「自由」と「民主主義」と「市場経済」が組み合わさった体制で、個人の基本的人権が保障され、法の支配が守られ、言論、信教、結社の自由がある。そして選挙によって政権交代が可能な民主政治が実行され、市場経済を基本とする経済体制によって国が運営される最良で最終のシステムである可能性を示した。


 しかしその後、世界は選挙を行う独裁政権が多くの国で生まれ、アメリカ社会では、個人の孤独、薬物依存、自殺率の増加、地方衰退、社会的格差の拡大など社会的問題はますます広がっていった。そしてアメリカではフランシス フクヤマ氏の述べたリベラルに対する疑問や反対が起こり、トランプ政権が誕生した。J.D.ヴァンス副大統領はパトリック J デニーン氏などの共同体の再構築の思想に近く、民主党内でも反リベラルのバーニー サンダースやオカシオ コルテス氏などの社会民主主義の運動が支持されつつある。そして個人の創造性と自由こそアメリカの強さの源泉であるといった、企業家イーロン マスクやピーター ティール氏も現政権で影響力を行使している。

                            

 2016年大統領選挙の3週間前にパトリック J デニーン氏は「リベラリズムはなぜ失敗したか」を書き終えた。デニーン氏の思想は国家、国境、宗教、家族共同体を重視し、グローバリズム、過度な個人主義、文化リベラリズムに反対する。特に2020年代以降のポスト・リベラル運動の理論的な出発点になり、保守派の政治家J.D.ヴァンス副大統領などに強い影響を与えている。

 デニーン氏の中心的な主張は、リベラリズムは失敗したのではない。成功しすぎた結果、自らを崩壊させたと主張する。

 彼のいうリベラリズムとは、個人の自由、市場経済、権利の拡大、国家からの自由を最優先する500年前に生まれた近代政治思想で、250年前のアメリカの建国の基礎となった。その結果として、現在のアメリカは、家族は教会や地域共同体から切り離され、共同体は崩壊し個人は孤立した。アメリカンドリームは手がとどかなくなり、子供は親以上の世代より裕福になれそうもなく、政府機関に対する国民の信頼度は低下し、政治と経済エリートに対する反発は強まっている。裕福な持てるものと取り残された持たざる者の格差が広がり、信仰を持つものと持たざる者の間の反発がお互いを遠ざけ、アメリカが世界で果たす役割についてもいつまでも対立が解消されない。自由を最優先すると、「善い生き方」について誰も語れなくなる。結果として消費主義、娯楽中心主義、政治の劣化が起こり、アメリカの良き文化的伝統が空洞化したと主張する。

 1980年代の保守主義はレーガン大統領などに代表される小さな政府、自由市場の重視、規制緩和が重視された。一方。ポストリベラルの保守派は国家は家族や地域を支える必要がある、社会の健全性は経済のみではなく、地域共同体をもっと重視すべきだあると変化してきた。

 

 民主党のバーニーサンダース氏やコルテス氏もまた経済のグローバル化を批判し、社会的格差を批判し、巨大企業の独占を批判する。そして同じく地方の衰退とエリート政治家を批判する。しかしこの原因は新自由主義的資本主義にありそれらを治して労働者を保護し、富の再配分をおこない福祉国家を目指すべきと主張している。そして最も対立しているのが多文化主義を認め移民の権利を保障し、ジェンダー平等を推進し、LGBTQの権利を主張している。ポストリベラル保守と民主党左派は、グローバル化への批判、経済格差への懸念、巨大企業への不信という点では共通している。しかし、保守派は家族・宗教・共同体の再建を重視するのに対し、民主党左派は福祉国家、多文化主義、人権保障の拡大を重視する点で大きく異なる。


 さらに現在のリべラル批判のもう一つの潮流として、イーロン マスク氏やピーター ティール氏などテクノリバタリアンが存在する。同じように現在のアメリカには問題があると主張し、政府の官僚主義がイノヴェーションを妨げている、国家の関与は少ない方がよい。イノベーターが社会を前進させると主張する。イーロン マスク氏は本来は政府の規制縮小を主張してきたが、第二次トランプ政権では政府改革や宇宙開発、AI政策などへの関与を強めており、その立場は従来のリバタリアニズムだけでは説明できなくなっている。

 個人主義や科学主義に関してパランティア社のピーターテイル氏は技術の進歩でSNS、広告テクノロジー、エンタメのアプリだけが進歩して、エネルギー、宇宙開発、医療、防衛技術といった本当の技術革新は停滞していると語り、民主主義と自由主義は両立しないとして、官僚制、規制、同調圧力、エリート機構を批判。天才的起業家、技術革新が新しいフロンティアを作る原動力であると考えている。