2025/12/14

イカロス症候群

  

 ゲーテはイタリア紀行の中で、ローマのカーニバルを描いている。ローマの「街全体がひとつの大きな劇場である。観客と演者は絶えずその役を取り替える。女性も男装し、二つの仮面を前後につける人がいる。どちらが前面でどちらが背面なのか。人物が前進しているのか、後退しているのか、見分けがつかない。」

 「ローマ人は自らの生活全体を祝祭へと変え、街路を舞台に変える術を知っている。誰もが傍若無人に振る舞うことができる。棍棒や刃物を振り回すこと以外、ほとんどの振る舞いは許される。社会的な格差は一時的に解消されたように見える。」「馬車の上から紙吹雪(砂糖菓子)が雨のように降り、通りの若者たちはそれをまた投げ返す。そしてチョークや粘土片で全身が真っ白になった男たちが次々と現れる。その中には黒服姿の司祭も例外ではない。」そして人々は束の間の、社会的秩序の一時的な逆転に陶酔する。そしてこの騒擾は潮が引くように終わりを迎える。

 「カーニバルの終わりほど胸を打つものはない。それまでの喧騒が突然、沈黙に変わるからだ。」人々を熱狂に誘うこれらの出来事は過剰なまでの、神経を興奮させる脳内物質の作用が考えられる。やがてこれらの物質の消失とともに、精神の中に、燃え尽きる精神の疲労、イカロス症候群が訪れる。



 三島由紀夫は「太陽と鉄」の中で神輿について、「幼時、私は神輿の担ぎ手たちが、酩酊のうちに、いうにいわれぬ放恣な表情で、顔をのけぞらせ、甚だしいのは担ぎ棒に完全に頸を委ねて、神輿をねり回す姿を見て、彼らの目に映っているものが何だろうかという謎に、深く心を惑わされたことがある。」

「神輿のわっしょいのリズムに身をゆだねると、身体が共同の波にのまれた。暴れみこしには、神と肉体の荒々しい一致がある。神輿の重さは、少年の肩に鉄の現実を教えた。」

ここでもまたドーパミンによる快とセロトニンによる心の安定化と、共同体との一体感が生まれる。

 さら自衛隊のF104に乗ったときの高揚感を「F104は離陸した。機首は上がった。さらに上がった。思う間に手近な雲を貫いていた。一万5千フィート、二万フィート。高度計と速度計の針が小さな高麗鼠のように回っている。準音速のマッハ0.9。ついにGがやってきた。が、それは優しいGだったから、苦痛でなくて、快楽だった。」「私の視界はやや灰色の青空に占められていた。それは青空の一角をいきなり齧り、青空の塊を嚥下する感覚だ。 清澄なままに理性は保たれていた。」「雲と海と落日だけの簡素な世界は、私の内的世界の、いまだかつて見たこともない壮大な展望だった。と同時に、私の内部に起るあらゆる出来事は、もはや心理や感情の羈絆を脱して、天空に自由に描かれる大まかな文字になった。」と飛行体験の内的世界を表現している。そして最後の章にイカロスの詩を載せた。


鳥の自由はかつてねがわず


自然の安逸はかつて思わず


ただ上昇と接近への


不可解な胸苦しさにのみ駆られて来て


空の青のなかに身をひたすのが


有機的な喜びにかくも反し


優越のたのしみからもかくも遠いのに


もっと高くもっと高く


翼の蝋の眩暈と灼熱におもねったのか?


  アポロ計画で月に行った宇宙飛行士たちもまた、意識や認識の変容する体験を語っている。その一人ジム アーウインは空軍のパイロットで、F104ジェット戦闘機に乗っていた。そして、アポロ15号で、月に向かった。

 ロケットは点火され、猛烈な速度で上昇する、そのとき体は4Gの力で座席に押しつけられ、その後、地球軌道に乗る、この軌道上から眼下に地球を見る。そして、月に向かう。「地球を離れて、初めて地球を見た時、最初はバスケットボールぐらいの大きさだった。それが離れるに従い、野球のボールぐらいになり、ゴルフボールくらいになり、ついにはマーブルの大きさになってしまった。そして、宇宙から地球を見ることを通して神の存在を確信し、月面に降り立ち神の啓示を体験した。神に祈った時に、いくら祈っても、神は無言だ。しかし、月では違った。祈りに神が直接的に即座に答えてくれるのだ。」と語っている。

 多くの宇宙飛行士は、この宇宙に出てから、急に頭の中が明晰そのものになり、精神機能が拡充した感じになる、そして全ての操作が素早くできるようになると言う。宇宙飛行士たちは皆宇宙体験で大きな精神的影響を受け、内面的に変わり、やがてジム アーウインはキリスト教の伝道師になる。 



 人々は祭りに熱狂し、カーニバルに熱狂する。その祭りの熱狂を遊園地に見出した。 好天に雑踏が組み合わさって、娯楽施設は人だかりで、騒然とし、人々で湧きかえっている。祭りに、マシーンが加わって、19世紀の末には遊園地が新たな祝祭の場所として登場した。

 ニューヨークのコニーアイランドには1877年のフィラデルフィア万博のために造られた鉄の塔をを払い下げ、エレべイター付きの展望台になった。1883年シカゴ博覧会で展示された回転するする車輪にゴンドラをつけた、大観覧車を払い下げ、運び込まれた。1884年にはジェットコースターが人気を集めていた。20世紀になると、ループ ザ ループと呼ばれる360度回転するループ型ジェットコースターが登場した。

 回転木馬から、次第にジェットコースターになり、360度回転するループ型コースターへと続々と新しい絶叫マシーンが取り入れられ、人々はスピードとスリルを求めて遊園地に殺到した。1920年代ニューヨークの地下鉄がコニーアイランドまでのび、アメリカの遊園地ブームはその絶頂期に達した。


 人はなぜ祭りに興奮し、カーニバルに熱狂するのか、どうして遊園地に人々は惹きつけられるのか。どうしてジェット戦闘機で操縦したり、宇宙旅行のロケットの加速で、気分が変容するのか。どうして静寂の月面に到達して崇高な気持ちになるのか。それらは、人々の脳の中の様々な物質が活性化されるからであると考えらている。この神経伝達物質は神経細胞の間の情報のやり取りを調整し、感情、意識、思考を調整する。ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニン、オキシトシン、エンドルフィンなどそれぞれの役割は次第に明らかにされつつある。



 さらに、さらに、長く、恍惚と燃える青へ。

 ひばりも、鷲でさえ至らぬ高みを、

 たやすく超えてゆき

 静かな昂った心を持って、


 人がまだ足を踏み入れたことのない高みの宇宙の聖域に入ったとき、


 私は、手をさしのべて、神の顔にさわった。


                     ジョン ギリスピー マギー


2025/11/30

平静の心 サイコパスとHSP


 感情は周囲の情報と身体の中の情報を脳がまとめてつくり出したもので、その感情をドーパミンやセロトニン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質が調節しています。


 人々は、日常生活の多くの行動は、この感情によって決め、行動している。この中には、心配な気分と不安感がある。これは人類が生き延びるために、備わったもので、心配や不安は外界の危険に体が対応するため、防衛のシステムで、心配と不安はは同じ役割を担い、不安の感情は、危険が襲うかもしれないと予測する時に起こる嫌な気分で、現実にそれが起こらなければ、消え去る。 一方、希望がかなった時の満足感や、心地よい気持ち、幸福感も起こる。しかし満腹感もすぐに消えて、次の食べ物を求めて活動を始めるのと同じようにこの感情も長くは続かず、消えていき、次の外界の危機に対応する。


 人の中には、他人の感情を読む能力が非常に発達した人がいる。その人は感じやすく、感情に影響されやすく、極端になるとHSP(ハイリー センシティブ パーソン)と呼ばれる。共感力が強く、音や光、匂いなどのささいな刺激にも敏感で、疲れやすい、そして周りのわずかな変化や雰囲気を敏感に察知し、物事を深く考え、情報を正確に処理する能力に長けていて、人口の15から20%がこの気質を持っている。

 現在日本で、メンタルの不調で、仕事のできない人が増えている。気分障害の外来患者数は2023年には156万6000人になった。多くはデプレッション(うつ病)で、診断基準として、抑うつ気分、興味、喜びの消失、体重や食欲の変化、睡眠障害、精神運動の変化、疲労感や気力の低下、罪悪感や自分を価値のないものと考える、そして死にたい気になる。思考力や集中力の低下。このうち5つ以上が2週間以上毎日つづき、日常、日常生活に支障をきたしている状態。これをみたすのが診断の基準で、時々こんな気分が2、3日起きて、決めたり考えがまとまらないことは誰にもあることで、長期にわたり気分の落ち込みがあって5項目以上当てはまるのがデプレッション(うつ病)です。毎年受診患者が増えているのは、診断基準が確定し、治療薬も安全で有効になり、また受診のハードルが低くなったためか、社会の変化やスマホによるSNSの影響などが推定されています。

 

 このバイタリティーとデプレッシブな心の状態を調節するのが、神経伝達物質で、セロトニンやノルアドレナリンそしてドーパミンなどがあります。セロトニンは、幸せホルモンとも呼ばれ、安らかな情景や宗教画を見ている時の感じ、心の緊張はこのホルモンが出ることによって、和らぎ、ゆったりした気分になります。バイタリティーが湧いて行動力のもとになるのがノルアドレナリンで、行動に移す力を与え、恐怖や危険にあった時、このホルモンが分泌され活動に移ります。そして集中力は増し、記憶力も増し、行動力も増して危機に対応し、活発な行動を促します。さらに、ドーパミンは報酬のホルモンと呼ばれ、ワクワクとした気分や生きていくための快楽を生み出すもので、生物の社会活動すべてをコントロールしています。

 

 一生懸命頑張っている人は、ドーパミンやノルアドレナリンが過剰になり、やがて過労に陥ってしまう。さらに時代のスピードが早まり刺激が多くなると、心の休まる空間が狭くなり、長期のストレスに日々さらされることになる。そしてスマホ時代となり、興味をひき、新しい刺激をあたえ続ける画面の情報は、脳内のドーパミンを活性化させる。そしてやがてSNSの魅力は魔力に取って代わられる。


 人類が繁栄し、生き伸びてきたのは、協力する能力があるからです。しかし、一部の人には、この能力が欠けていることがわかってきました。サイコパスという言葉は20世紀の始めの数十年間に流行し、広く知られるようになりました。反社会的行動はとるものの、それ以外の点では社会で、正常に機能できる人を表現するのに使われ、1941年アメリカの精神科医ハーヴェイ クレックレーが「正気の仮面」で定義し、診断のチェックリストを作った。サイコパス的な性格は、一見したところ魅力的で、社会に順応していて、知的だが、その内面はきわめて感情が乏しい。さらに衝動をコントロールする能力が著しくかけている。その結果、共感力が乏しいだけでなく、失敗から学ぶことはなく、失敗を恐れたり、罰を受けたりする可能性があっても不安に思わない。


 サイコパス的な性格は人口の1%を占め、日本では100万人はいると推定されています。サイコパス的な人は、表面的には魅力的で人を惹きつける、しかし共感性はなく、虚言癖があり、責任感とか後悔することはない。

 マイルドなサイコパスの人は、政治家となり時には権力を握ることがあり、その組織や国は悲劇に見舞われる。1970年代アフリカのウガンダで、大統領となったアミンは、典型的サイコパスの性格で、政敵を投獄し、死亡させ、国を破滅に導いた。歴史的には、ヘンリー8世やサダム フセインもサイコパスと考えられている。気分障害の改善には運動や、深呼吸の方法や、自然に溶け込む時間つくるなど過剰のコントロールは、さまざまに工夫されている。一方サイコパスは未だ明確な基準もない。


 今後、脳神経科学の進歩や認知症の研究そして、AIの進歩による知能や感情のさらなる解明が進み、新たな対応策が生まれるかもしれません。

2025/11/17

感情の時代

 


 近代合理主義では、感情は非合理的であって、理性的で知性的であるのが望ましいと考えられてきた。文明化とは、自ら感情をコントロールし、それが高まるほど文明は進歩すると考えられていた。 SNS時代になると、非合理的とされた喜び、怒りなどの感情が、発信され、人々の間に広がってきた。そして理性ではなく感情が、人々を動かし社会を動かし、政治を動かす時代がやってきた。


 現在、世界中で、今のままの生活水準が保たれ、今のままと同じ生活が送る事ができるのか、それが失われるのではないかといった不安が広がっている。こうした社会の状況に、インターネットを使ったソーシャルメディア(SNS)が日常化してきた。フエイス ブックやXやユーチューブは人々の便利で役立つコミュニケーションの手段として開発され、SNSを使って、怒りや嘆きの感情を、直接的に表現できるようになった。


 SNS時代になって、誰でも手軽に、人の手が介在することなく、個人的にひとりでも、政治的意図で事実の断片や、フェイクも使って群衆の支持を獲得することができるようになった。SNSの時代は、新聞の時代の大衆紙とクオリティーペーパーの区別や、正確さを信条とするニュース番組と視聴率を目的とするワイドショーとの区別はなく、全部がフラットであり、評価は「いいね」の数だけで決まる。正確な事実よりも、より刺激的で、 より過激な物語が多くの支持者や視聴者をうみ、それが社会を動かす道具として政治的目的で利用され始めた


 1895年にル ボンが「群集心理」を書いた。その中で、群集心理の特徴として「理性的ではなく無意識下の本能のままに動くため衝動的で、動揺しやすく、興奮しやすい。そして、暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じてしまう。

 そして 「単純さを好み、誇張的である。思想は単純でなければ、多くの人に受け入れられない。どんな高邁な思想も、群衆を動かすようになった時、全く別物に変わっている。

 さらに「群衆は、イメージによらなければ、物事を考えられないのであるし、またイメージによらなければ、心を動かされもしないのである。このイメージのみが、群衆を恐怖させたり魅惑したりして、行為の動機となる。」「これまで群衆が、真実を渇望したことはなかった。群衆は、自分らの気に入らぬ明白な事実の前では、身をかわして、むしろ誤謬でも魅力があるならば、それを崇めようとする。」


 そして群衆の精神に思想や信念を支配する方法として3つの手段によるとした。第1は断言で「およそ推理や論証を免れた無条件な断言こそ、  確実な手段となる。断言は証拠や論証を伴わない、簡潔なものであればあるほど、ますます威力を持つ。」第2に反復の効果で「ある断言が、十分反復されて、その反復によって全体の意見が一致した時には、いわゆる意見のすう勢が形作られる。そして第3に「強力な感染作用が、その間に働くのである。群衆の思想、感情、感動、信念などは、細菌のそれにもひとしい強力な感染力をそなえている。」


 民主主義が感情に動かされるのには2つの要素が重なったときに起きやすい。

一つは経済的社会的現状に不満を持つ人々の存在。もう一つは強力なコミュニケーション手段である。その時代に、人々を支配し、権力を持つことのみに魅力を持ち、それを目的とする政治家が現れると国は危機に陥る。


 1930年台のドイツは、インフレと賠償で経済は混乱し、国民は困窮していた。そして映画や新聞に加えて、新しいメディアとしてのラジオが普及してきた。そこに巧みな弁舌と社交的な性格に見える政治家が登場した。 アドルフ ヒトラーで、社交的でカリスマ性を備え、人々を惹きつける巧みな演説を行い、当時登場したラジオなどのマスメディアを巧みに利用し、人々の感情に訴え、権力を手に入れた。


 同じ時代にアメリカも大恐慌に陥り社会は混乱し、多くの人々の生活は困窮した。 しかし、当時のアメリカにはコモングットが広く人々に受け入れられ、理解され支持されていた。そして、フランクリンルーズベルトはラジオを使って国民に語りかけた。政治演説調ではなく、穏やかな口調で国民に語りかけ、銀行の危機やニューディール政策について説明し、理解を求めた。

 やがてフランクリンルーズベルトは4つの自由として言論の自由、信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由を掲げそれを世界に広げていった。そして国民のほとんどが、思いやりを持って他の人と繋がり、その仕組みを支えてきた。これが世界の戦後民主主義の基礎となった。


 世界中で富の偏在が進む中、子が親を越えられない時代になり、SNSを使って、健康問題や政治的陰謀論や、愛国主義、排外主義を取り上げ、既成の考えをする人を否定し、極端な考えをフェイクを交えて喧伝して、喝采を浴びようとする煽動者が現れた。かつての感情と政治の問題は新しいメディアによって現在世界はアフェクティーブ ターン(情動論的転回)をむかえている。


2025/10/26

南方へ


 熱帯地方のなかで、季節が零落をするのは十一月と十二月の頃おいだ。繁茂したもののあいだで、いっさいのいのちがさびれかえる。生きに生き、延びに延びてしまった葉や茎の、ちからや、感情が、もうどこへも行きどころがみつからないように、大きく、はたとゆき止まっている。                マレー蘭印紀行         金子 光晴


 オランダは1602年に東インド会社を設立し、ジャカルタを中心にして植民地化を進めた。 台湾には1624年東インド会社が台南市に拠点を築き、支配をし、布教活動や教育を進めた。明は清との戦いに敗れ日本の徳川政権に援軍を求めた。しかし徳川政権は援軍を出さず、国内政治に集中した。明は滅亡し、明の忠臣、鄭成功が台湾を支配し、オランダ軍を台湾から追放。しかし1683年には、清朝の支配下に置かれる。 やがて日本は日本は清と貿易を開始し、そしてオランダもまた長崎の出島を通して、日本との貿易をおこなっていた。

 台湾は1895年日清戦争の後下関条約で清から日本に支配権が移った。その時、清の外務大臣で全権大使の李鴻章は「台湾は化外の地」とよび、それほど重要視せず夷狄の土地に近かった。  
 日本統治下の台湾には亜熱帯の未開の地が広がっていた。高温多湿で山々が連なり、新高山で標高3951メートルで富士山より高いそれに続いて次高山があった。昆虫や植物は豊富で、中央山脈の高知には先住民の首狩族が住み、登山者は近寄ることができなかった。  台湾に行くのは、神戸港から出発し、商船三井か日本郵船の定期便に乗って、4日かかって台北に着く、ここに1926年台北帝国大学が設立される。ここを起点として南洋の領土が広がった時に備えて、農業の経営には、昆虫学や植物学が重要となることを見越して、戦前の植物学や昆虫学の中心に台北帝国大学がなった。台湾総督府となり、総督の児玉源太郎と医師出身で衛生学に詳しい後藤新平の統治により、総督府の研究機関には潤沢な資金が投じられた。 

  素木得一台北帝大の教授はロンドンから日本や東南アジア産の多くの甲虫の標本を持ち帰り台湾で昆虫学で多くの業績を上げた。日本の産業の養蚕の研究を行い、貝殻虫による街路樹の被害を天敵であるテントウによる害虫駆除で成果を上げ、農業害虫とその防除方を研究して応用昆虫学で有名になった。 

  当時、今西錦司らは南洋群島調査をおこなった。ボナぺ島、ヤップ島、パラオを研究対象としてフィールド調査を行い、植生や動物だけでなく、住民の生活も研究対象とした。これらの調査はやがて戦後の生態の棲み分け理論の基となる。 

  ボルネオやニューギニアの動物界でのウオールス線というのがある。セレベス島とボルネオ島の間の海峡それをフィリピンのミンダナオ島に向かって北に伸ばした線を生物の境界線とした。アジア大陸とオーストラリア大陸に住む動物は全く異なり、ニューギニア等の哺乳類はオーストラリアの乾燥地帯と異なり湿気が多い熱帯にもかかわらず、同じような有袋類の哺乳類が住んでいる。カンガルーは小型化して木登りカンガルーと呼ばれ、ジャングルで樹上生活をしている。これは氷河期には海面が今より低く、ユーラシア大陸はかつてボルネオ島まで陸続きで、一方オーストラリア大陸はニューギニア島とは陸続きだったことによる。 

  田中長二郎は、台湾総督府農業試験場に所属し、南洋群島の調査を行った。これはウオールス線の東側で、その地域の植物の分布を研究し南洋群島植物誌、南洋植物調査報告を発表した。そしてこの地域におけるアジア系とオーストラリア系の中間系であることを見つけた。これは風や潮流によるココヤシやアダンの移動。さらに鳥類によって運ばれる長距離の種の移動が見られるためであった。 

  第二次世界大戦の前、アジアは列強の植民地の支配下にあった。イギリスはインドから沿岸に沿ってシンガポール マレーシアそしてボルネオ島の北側を植民地にした。マレーシアは山岳地帯でインド人マレー人中国人が住んでいた。そこはゴムの一大産地でそのプランテーションでとれたゴムは世界中に売られていた。
 一方インドネシアは当時のオランダ領東インドと呼ばれオランダの支配下にあった。このスマトラ島に1883年石油が採掘され、ロイヤルダッチシェルが開発し一大油田となっいた。 

  1939年第二次大戦勃発すると、1940年5月にドイツは、べルギーオランダ、フランスに侵攻し占領した。その結果、アジアの植民地支配の機構は消失した。アジアでドイツの占領を免れ残ったのはイギリスのみで、その撤退を恐れアメリカは南カルフォルニアから艦隊をハワイの真珠湾に移した。  
 1930年代日本の国内の石油生産量は7%で後は全て国外から輸入していた。80%がアメリカ、10%はオランダ領東インド諸島であった。
 1940年日本は中国大陸に加えて南方へ進出、フランスのビシー政権にフランス領インドシナへの日本軍駐を認めさせた。そしてアメリカからの石油輸入を急速に増やし軍事用に使った。石油の対日禁輸に備え石油と掘削装置や組み立て式の貯蔵タンクを大量に購入した。  
 ヨーロッパで戦争が始まると、それがアジアにも波及し、ドイツ イタリアと同盟を結んだ日本に対して、アメリカは次第に石油や鉱物の日本への輸出を制限し始めた。 海軍は資源確保のため南方に進出す作戦を立て、オランダ領東インド諸島、マレー、インドネシア、南洋の島々に注目していた。1941年12月真珠湾攻撃と同時に、南方へも軍を進め、シンガポールを陥落させ、インドネシアの油田を支配下に置いた。 

  南方と呼ばれる東南アジアの地域は南洋の動物や植物研究の宝庫から、資源争奪の戦場になり、戦後独立した国々は経済的に発展し、今は貿易をめぐる綱引きの場になっている。

2025/09/28

高齢化する世界と人型ロボット その2


人型ロボット


 関西万博で、「いのちの未来はロボット工学者の石黒 浩 大阪大学教授のプロデュースしたのアンドロイドの館で、その中で50年後、2075年の家族のストーリーが展開される。まず最初のコーナーで日本のヒト型造形物の歴史が展示される。縄文時代に作られた土偶、弥生時代の埴輪、鎌倉時代の仏像、やがて江戸時代になると人形浄瑠璃の人形やからくり人形、時代時代に人型の造形物が作られた。その後の世界ではAndroidと共生する社会、肉体に寿命が尽きても生き続ける未来が想像される。

 現代において日本が人型ロボットで先頭を走っていた。2000年頃にはソニーの犬型ロボットのアイボ、ホンダの人型ロボット アシモ、トヨタも2005年愛知万博で多くの人型ロボットを展示した。そしてその後にソフトバンクからペッパーが発売され、全国の店や介護施設で使われた。しかしその時代、AIの機能は限られたもので、すぐに飽きられてしまった。その後目標を失ったためか、それらは改良されることなく、今はアメリカ、中国あるいは韓国が技術競争の先頭を走っている。


 ここ数年のAIの進歩は急速で、様々なAIを備えた人型ロボットが開発されている。今年、テスラのCEOイーロンマスクは「テスラの価値の80%をロボットが生むようになる。」とSNSで表明した。テスラは 現在身体性AI(フィジカルAI)で人工知能を持ったロボット型の『オプティマス」を開発中で、このロボットが現実世界の人間や機械の動きをセンサーでとらえデーター化して、学習する。そして「10年後には10億のロボットと共生する時代がやってくる。」と予想して人型ロボットの生産を推し進めている。

 エヌビディアは、高度な人工知能を搭載したロボットの実現に向けて、ソフトウエア開発から半導体を提供する構想を10年前から進めていた。現在アマゾンは倉庫に、アジリティー ロボスティックの「ディジット」を取り入れ、メルセデスベンツはアプトロニックの「アポロ」を取り入れている。これらのロボットはいずれもエヌビディアのシミュレーション技術を使って高度な動作を行えるようになった。


 一方、イスラエルはガザでの戦闘で、陸上兵器の爆弾ロボットを使った。AIによる自律走行が可能で、大量の爆弾を搭載し、無人の軍事車両で、正確に標的を攻撃し、爆発させることができる。そしてハマスの拠点と見られる建物に、この爆弾ロボットを突入させている。


 AI技術はバイオテクノロジー、ロボット工学、薬の開発などの分野で急速に進歩し、医療、介護、車などの分野で有力企業になる可能性もある。一方イスラエルのように軍事的技術の進歩にもつながる。日本の企業は、この世界競争においてどの分野で優位に立つかが問われている。



高齢化日本と高齢者施設


 半導体の進化について、1965年50年前ムーアが18ヶ月で2倍半導体の性能が上がると唱え、その通りに進歩した。今でもムーアの法則として有名で、現在のAIの進化はさらに急速で、オープンAIのチャット GPTの実用化でその進歩は弾みがつき、数年後には10億倍のニューロンに相当する人工知能(  AI)になると予想されている。それを利用した介護用ロボットの開発が進めば、自らがロボットを使って自立した生活ができることが実現する可能性は高い。


 現在介護保険で使われている特定疾病は、認知症や脳梗塞や脳出血による病気など、体の司令塔である脳の障害、そして整形外科的な脚や腰、膝などの動く機能の障害、そしてがんの進行などに分けられている。そのうちの認知症などの介護は、AIの会話ロボットによる介護が有望である。認知症の認知機能は0か100かではなく、記憶が少しずつ衰え、判断力が衰え、場所がわからなくなり、そのため道に迷うようになり、財布を置き忘れ、お金が管理できない、食事が作れないなどの症状が出てくる。それでも過去の楽しい記憶や、いつもしている作業はかなり自分でできる。そんな状態の人に対応した、会話型ロボットは非常に役に立つ。認知機能低下の程度に応じて、それの適した会話の内容に対応して、会話のパートナーとなりうる。

 

 身体の活動に関わる、足腰や膝の痛みによる活動の制限は、それを支える補助ロボットが必要になる、人が支える代わりに支えることができる安全なロボットは進化するほど安全性と機能性が高まる。


 さらに施設における、炊事や洗濯掃除の作業はすでに実用化しているものがあってさらに進化する。そして案内役とか絵を描いたり、歌を歌ったり、体操したしする指導用のロボットはペッパーで一部は試みられ、これが進化すればさらに重要性を増す。日本は世界でトップの高齢化社会で、高齢者施設にロボットを導入し、楽しい施設にしていくことは高齢化日本の役割である。コストにあった、機能に優れた、人型ロボットが活躍すれば、今後の10年高齢化する世界を乗り切ることができる。

 今後、テスラと同じようにトヨタが人型ロボットのリーディング メーカーになるかも知れません。今月、政府も内閣府で人型汎用ロボットを30年までにつくる方針を発表しました。

2025/09/15

1920年代 捕食された民主主義

  1920年代個人主義的自由主義が世界の現実に対応できなくなって、民主主義が衰退し、ポピュリズム、大衆迎合主義が台頭した。1920年代は世界中で都市化、大衆化が進み、ソ連の共産主義やイタリアの国家社会主義が政権を担った。 結局、民主主義の破綻は偶然ではなく、自由主義が時代の要求に応えられなくなった必然的結果である。


                               歴史とは何か                  E.H.カー


 自由主義と民主主義が戦後の秩序を作り上げた。第一次対戦後、連合国側は民主主義と民族独立の戦いと宣伝し、その戦争でロシア帝国とドイツ帝国、オーストリアハンガリー帝国、オスマン帝国は本当に滅びてしまった。オーストリハンガリー帝国は崩壊しオーストリア共和国、ハンガリー共和国、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ポーランドに分かれ、ハンガリーは自国領土の3分の2と人口の5分の2を失った。ドイツやトルコは共和国となり、ロシアはソ連になった。


 戦勝国のフランスでは、セーヌ河左岸のモンパルナスに芸術家たちが集まり、芸術家村を作り、カッフェ、キャバレー、劇場やジャズクラブが夜も昼も賑わいピカソやエコールド パリのモジリアーニ、藤田嗣治、シャガールなどが活躍した。

1918年第一次大戦の年に、レオナール フジタは油画による墨絵 でパリの風景画や少女の油絵を出品した。1920年にサロンに多くの伝説を残した画家モジリア二が35歳の若さで死亡。その後フジタは夜のモンパルナスの寵児になり、日本画のような乳白色の裸婦像でサロンで高い評価を得た。

そしてアメリカの小説家、ヘミングウエーやフィッツジェラルドも住んでいた。1926年ポアンカレが政権を担い、文化芸術の黄金時代を迎え、狂騒の20年代と言われた。


 第一次世界大戦の後の世界に対してアメリカ大統領ウィルソンは新しい解放された国際体制を求めて国際連合を創設、民族自決の世界秩序を打ち出した。その国際連盟にアメリカは参加しなかったもののアメリカが世界の中心になった。経済は発展し、大衆文化は花咲き、ラジオ放送が始まり、映画は人気を呼び、音楽はジャズが大流行し、ジャズエイジと呼ばれフラッパーが登場し。株価は毎日のように上昇を続け、人々は皆豊かになった。

 

 イギリスでは1916年から1922年ロイドジョージや1929年から35年ラムゼイ マクドナルドが融和的な政策を進めていた。チャーチルは当時時代遅れの戦争屋と呼ばれ、政権からは遠ざかっていた。


 そして、ロシア革命でロシア帝国は滅び、ケレンスキー内閣ができた。それを武力で転覆して、1917年トロッキーのボルシェビキ共産党独裁政権が誕生した。

 ドイツ帝国は共和国となりグスタフ シュトレーゼマンが左右の勢力を抑え共産主義を抑え、ヒットラーのミュンヘン一揆を鎮圧し、ワイマール共和国を守った。100日内閣で政権を降りたのちも外務大臣として活躍した。 

  イタリアでは第一次大戦は勝利なき勝利と呼ばれ、立憲君主制のもと政権交代が頻発し、政党政治への信頼は弱かった。かつてムッソリーニは社会党員であったものが、1919年ファシスト運動を開始し、強い国家、反社会主義を唱え、国民の支持を集め始める。やがてファシスト党がローマに進軍して、ムッソリーニが権力を掌握した

 その後、ドイツでもワイマール共和国は危機に陥る。中道の穏健な政党は過激な政党に取って代わられることによって政治の中道は崩壊していった。ナチスは少数の不寛容な人びとだけでなく、大多数の寛容な人々にも支えられる。寛容な人々もヒットラーの煽動する偏見を表面では抑制しつつ、心中では共感を示した。1933年ヒットラーのナチス政権が生まれ国家社会主義の時代になる。


 日本でも、1920年初頭は普通選挙のもとに護憲3派が政権を担い大正デモクラシーの時代を迎えた。その後、政党政治は財閥と結びついた金権政治と権益を求めた党派の間の足の引っ張り合いなどに明け暮れ、国民の信頼を失っていった。さらに関東大震災が起き、昭和恐慌の経済混乱による、国民生活の貧窮に政党は対応できなくなり、軍や国家主義の思想が国を救うという方向に国民も向かっていった。1930年桜会が結成された。「ただいたずらに政権、物資の私欲にのみ没頭し、上は聖明を蔽い、下は国民をあざむき、滔々たる政局の腐敗は今やその頂点に達せり。」と趣意書で政党政治を批判し、軍が日本の改革に乗り出した。


 政党は変化した時代の国民の期待に答えることができず、扇動により国を動かそうとした人々に捕食されてしまった。


2025/09/01

地球温暖化の夏 気候と生態系

 今年も終わらない夏が続いている。日本列島の各地で40℃を超える。安定化した気候が崩れると生態系は変化し、地球上で生命の大絶滅が過去5回起きている。

 地球と月にはほぼ同じ太陽のエネルギーがそそいでいる。月には大気がなく、水もなく、生命が生まれなかった。一方、今から20億年前には地球上の多くの生物が光合成で酸素を作り出していた。しかし海にあった鉄と結びついて、錆びて海底に沈んでしまい、嫌気性生物が生き延びていた。その後、酸素が作られ、好気的単細胞生物が現れた。そして酸素がしだいに多くなり、6億年前に海に動物が誕生した。


 現在と同じ地球上の酸素濃度になったカンブリア紀に、大型の活動的動物が生まれ、微生物も生まれた。4億5000万年前には植物は陸地に進出し、それに動物も続いた。5億4000万年前にカンブリア紀に動物の体が大きくなり、動物進化のビックバンが起き、海中の生命は現在に近い様相になった。5億年から4億5000年前、植物と微生物がが陸上に初めて進出し、それに動物も続いた。4億年前のミミズのはった後の化石が見つかり、さらにその1億年後にダンゴムシが現れ、その後クモ、ダニ、ムカデ、昆虫が続き、両生類の後に大型の脊椎動物が地上に登場し恐竜時代をつくる。 隕石の地球との衝突がきっかけで、爬虫類とシダ植物の時代は終わり、哺乳類の時代が始まる。 地球上の長い歴史をたどると、古生代の古い両生類は、1000種が滅び、生き残った一種が原始的爬虫類を産み、その爬虫類も1000種が滅び、生き残った一種が中世代の恐竜の祖先になる。


 この生態系を支えている生命の元は植物で、植物は太陽光を吸収して糖を作り出す光合成を行う。すべての生物は光合成に依存している。そして生き物を構成している窒素、リン、カルシウム、マグネシウム、カリウムは地球外からは、手に入らないので死んだ生物からこの物質を再利用している。この間地球に降り注ぐ太陽光エネルギーは、地軸の変化で大きく変動する夏に北半球に届く熱量が2%減るだけで、地球は氷河期に突入する。


 生態系は、温度と降水量で異なる。北極海と南極の付近は、小雨、低温、永久凍土のツンドラに覆われ、それから少し離れるとタイガと呼ばれる広大な針葉樹林帯が広がる。温帯は、豊富な植物、豊かな土壌、大量の落ち葉と分解者の住む温帯林。雨が少なく土のやせた草原、そして降水量の少ない砂漠地帯になる。 赤道付近は降水量と湿度の高い、熱帯雨林、雨量の少ないサバンナ、砂漠となる。

 海で生物が生まれる前、地球上に土はなかった。陸上は全て侵食された岩による不毛の地であった。その岩が風化し、砕かれ、植物や動物の遺体とそこに住むバクテリア、菌糸、小型の生物によってつくられ、そこに植物が根を張り、落ち葉が積もって分解され、豊かな土壌を作り出す。死んだ生物はバクテリアや菌類よって単純な無機化合物に分解される。そして、土に一時的に蓄えられる。枯れ葉は地面に落ちるとバクテリアや菌類に分解され土の一部になる。その土に生える植物は樹の根に住む菌類によって吸収され、葉を作る材料になる。


 地球上の植生は主に気温と湿度に影響される。地球上の気候は最近の4万年

間のグリーンランドの表層の研究から、激しい変化を繰り返していたことがわかっている。7000年くらい前からそれが非常に安定し、人の文明の発展の時期と一致する。さらに起源900年から1990年のイギリスの年平均1000年から1300年にかけて気温は高く中世温暖期と呼ばれている。1500年から1800年にかけては、小氷河期と呼ばれる寒冷期になり、作物は取れず飢饉になった。日本でも同じような傾向が見られ、平安時代の温暖期があり、寒冷期の江戸時代にはコメなどの農作物の収穫量に大きな影響を与え飢饉になった。


 産業革命以来世界の二酸化炭素の排出量は、年々増加し、世界中の多くの地域で暑い日が増え、寒い日は減る。今後100年間で起こる世界の気候変動のスピードは、この5000年間で人類が経験してきた変化の10倍以上になり、どこまで進行するかわからない。


 今確実に進んでいることは、地球温暖化によってグリーンランドや南極の巨大氷床が崩壊し、夏になると北極海の氷が以前より大幅に解け、船舶の航行が可能となりホッキョクグマの生態にも変化をもたらしている。そしてメキシコ湾流や太平洋の黒潮の流れなど海洋循環の巨大な変化が起きている。その結果、世界中で旱魃や熱波、洪水やハリケーンの強大化起きている。


 温帯の日本では、四季があり季節はめぐる。この気候は、海と陸の気流や海流に支えられている。これが温暖化によって変化すると、四季はなくなり、台風は強大化し、豪雨による河川の氾濫は頻発する。そして米やくだもの、野菜の生育に影響を与え、乳牛や豚の生育、海産物に悪影響が及ぶ。


 温暖化による人への直接的健康被害は、熱中症の増加、下痢性疾患の増加、マラリアなどの感染症の増加がある。長期的には野生生物や種の消滅につながる。地球温暖化の生物多様性の影響は、気温が上がると生物の気候適応の範囲が減って、種は絶滅する。3度の気温上昇で20%から35%の種は消え去る。これは現在すでに海の中とりわけ珊瑚礁の生態系に大きな影響を及ぼしている。同じように3℃以上の温度上昇によって陸上では熱帯雨林の枯死が起こる。樹木が枯れると、蟻が減ってありどりは消え、日陰を好む蝶も消え、猿やジャガー、ピューマその糞や肉で生きている糞中類も消え、鳥類や哺乳類の病原生物にも影響は及ぶ。



 気候の変動は地球生命圏にどんな影響を与えるのかは完全にわかっていない。しかし、気候、生態系は連鎖し、ある臨界点を超えるとカタストロフィックな変化を起こすことだけはわかっている。