2009/01/01

ディズニー王国


マンガの魅力

 

 1920年代のアメリカはマイアミの土地バブルに引き続き、豊かな生活を謳歌していた。株価は上昇を続け,新たな投資信託が流行し、すべての職業の人、主婦もこぞって株を持ち、アメリカ人の生活は株式市場を中心にまわりはじめていた。

 

 この時代1928年に、ミッキーマウスは初めて蒸気船ウイリーでスクリーンにデビューした。そしてアメリカだけでなく瞬く間に世界中で有名になり、ヨーロッパやオーストラリア、ニュージーランドさらには日本や中国、インドでも上演された。

 

 1929年に株価暴落が起こり、1930年代は10年間にわたり世界が恐慌に陥った。アメリカではルーズベル大統領のもとにニューディール政策がとられ、ドイツやイタリアは国家社会主義の政権ができ、ロシアは社会主義政権が確立していった。

 

 この時代がミッキーの黄金時代で10年間に100以上の作品が生み出され,ミニー、プルート、ドナルドなどのキャラクターが生まれた。1935年ミッキーマウスとシリーシンフォニーが世界中で4億6千800万人の観客を動員した。

 フランスでは、国際連盟メダルを受賞し、日本ではミッキーマウスの人形が飛ぶ絵に売れ,ロシアではミッキー映画は資本主義に対する風刺とみなしモスクワ映画祭審査委員会よりの賞を受賞し,イタリアでは、ムッソリーニからサイン入りの肖像が送られた。

 

 ドイツでもまた国家社会主義政権になっても、ディズニーが受け入れられた。その理由は,内容がほとんど非政治的で、作品にドイツのメルヘンの伝統に対する愛着があり、何より彼の母親がドイツ系であったことが影響していた。

 

 1930年後半に長編アニメの白雪姫と続いてピノキオが封切られた。しかし、これらの作品は、1940年代、ヨーロッパの大戦から第二次世界大戦が始まり、世界中に広まることはなくなった。

 1950年戦後なってドイツの映画館に登場し翌年ミッキーマウスもカムバックした。

世界が大恐慌から世界大戦に至る時代にもかかわらずディズニーマンガは世界中のこども達に歓迎され、おとなにも受け入れられ喝采をあびました、そして戦後ディズニーは世界中に巨大なテーマパークも造り上げ、ディズニー王国の夢をあたえ続けています。

 

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