ウォルトディズニーは1901年生まれる。1920年に最初のアニメーション映画を作り始め、3年後ディズニー最初の大ヒット映画「不思議の国のアリス」を制作した。
そして、1928年にはミッキーマウス映画「蒸気船ウィリー」がつくられ、みずからその声を演じた。この映画はアメリカ国内だけでなくイギリス、フランスそしてドイツとヨーロッパ中に理想の短編映画として大人気となる。
ミッキーはトーキーの奇跡である。ジャズのリズムで生きている動物。あゆみのひとつひとつがステップ動きのひとつひとつがシンコペーションである。こうして世界中に熱狂的ミッキーファンを生み出した。
その後1930年代に白雪姫やピノキオの世界的に有名な作品が制作され、戦争中はヒットラーに反対する「総統の顔」「理性と感情」「死ぬ教育」「ニワトリのリトル」のアニメ4作品を生み出し、1943年には「空軍の勝利」が公開された。これはアメリカの鷲が、世界をその手で囲い込もうとするファシストの蛸を何度も空から攻撃するというもので、空軍のシンボルとなる部隊章にはミッキーやドナルドそしてプルートなどが登場した。
戦争が終わり、1955年、カルフォルニア州アナハイムにこのアニメの主人公をテーマにした遊園地がつくられた。大人も子供も生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出をつくる場所、いつも清潔で、いつもおいしいものが食べられる空間、ランド内がショーの舞台、家族で楽しめるエンターテイメントの世界、デズニーランドを創り出した。
その後、アメリカのフロリダにもう一つのディズニーワールドリゾートが建設され、海外にも広がっていった。日本では東京デズニーランドが1983年に埋立地の舞浜の広大な土地につくられ、デズニーシーとともに国内だけでなくアジアの人々の憧れのリゾート地になった。
そのディズニーランドの中にトムソーヤ島があり、丸太のいかだに乗って冒険の島に行ける。そしてこの島は国外のディズニーランドにも形は違ってもつくられ、冒険が楽しめる。
アメリカ小説の源流を作ったマーク トウェインは1835年に生まれる。ミズーリ州のミシシッピ河畔に4歳の時から生活し、1869年に「無邪気な外遊記」と「地中海遊覧記」を出版し、 1873年に「金ぴか時代」で人気作家となり、1876年「トムソーヤの冒険」でベストセラー作家になる。
1885年黒人奴隷のジムとイカダで河を下って逃亡し文明から離れミシシッピー河で生活する「ハックルベリー フィンの冒険」を出版。ヘミングウエーが「アフリカの緑の丘」で絶賛したこの物語は、ミシシッピー川の自然と黒人のジムとジムに共鳴するハック少年の心の冒険小説だった。物語の中でユーモアある文章を口語体の簡潔な文体で奴隷制度とアメリカ文明をも描きだした。
その後も講演を続け、20世紀初め日露戦争の直前の時代、独立を目指すフィリピンを鎮圧したフィリピン戦争に対して、アメリカの好戦的植民地政策に反対し、反帝国主義連盟に加わり、多くの風刺論文を新聞に発表した。
マークトゥエインは「金ぴか時代」で南北戦争後のアメリカ社会を描き、アメリカ社会に対する鋭い観察眼を持ってその文明を批判的に表現し、その後も自由主義者として政府に批判的であった。
日本には戦後になって、アメリカ児童文学として紹介される。明るい冒険の物語にアメリカ民主主義の風をミシシッピー河の流れを感じ取り、アメリカの緑の自然の中の冒険ものがりは当時の少年の憧れの世界文学となった。
戦後民主主義の下日本の男の子たちは、トムソーヤやハックルベリーの冒険に夢中になり、女の子たちは白雪姫やシンデレラを夢見た。そして平成時代には、東京ディズニーランドとディズニーシーは、日本中から子供たちとその家族、若者そしてあらゆる世代の人たちが非日常の空間を体験するためのリゾート地となった。
人々はミッキーやミニー、ドナルドやプルートのキャラクターを身につけ、トムーソーヤやハックルベリーは人工の夢の島に再現され、この清潔で安全な環境で、童心にかえって、ディズニーのエンターテイメントを、アメリカの精神を日本化した夢の世界を体験した。その後、しだいに日本以外の中国、韓国、東南アジアの若者を惹きつけ、彼らの憧れの聖地となった。
それにしても、マークトウェインだけでなく、スターウオーズまで取り込んでしまうディズニーの力は偉大です。
令和の時代その影響力で、日本はさらに国際化し、幸せで、それぞれが個性的な世界、日本全体がディズニーランド化するかもしれません。
令和の時代その影響力で、日本はさらに国際化し、幸せで、それぞれが個性的な世界、日本全体がディズニーランド化するかもしれません。
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