「バンコクは雨季だった。空気はいつも雨滴を含んでいた。強い日差しの中にもしばしば雨滴が舞っていた。しかし空のどこかには必ず青空が覗かれ、雲はともすると日のまわりに厚く、雲の外周の空は燦爛とかがやいていた。」
豊饒の海第三作「暁の寺」は1939年(昭和14年)第二次大戦直前のタイ王室の7才になるジンジャン(月光姫)に本多邦繁が初めて会ったシーン、 国王の離宮バンパインでの出来事そしてタイから休暇でインドを訪れる、それらを舞台に物語が始まる。
タイでジンジャン(月光姫)と別れ、日本に向かう。「本多は熱帯の風物に別れを惜しんだ。金の仏塔が緑の密林の間に小さくなると、自分がそこで味わった転生の出会いが、すべて一篇のお伽話、一場の夢のように思われてくる。あれほど転生の証拠が揃っているのに、月光姫があまり幼いので、すべてがわらべうたの哀歓に紛れ、清顕や勲のような生の一連の流れ、その奔湍の帰結に触れることなく、旅人の好奇の目を揺れてすぎた1輌の狂気の花車に似たのである。」
日本に帰国したその年の冬十二月八日、真珠湾攻撃が行われ、日本国民は熱狂した。「真珠湾攻撃の熱狂に本多が嫉妬を感じていたと云っては誇張になる。ただ彼は、爾後自分の人生が決して輝かしいものになることなく終わるという、利己的で憂鬱な確信の虜になったのである。」
戦時中、本多は余暇を専ら輪廻転生の研究に充てた。
タイなどの小乗仏教は、「人々の肉体や外界の事物には本来善悪はなく、それを善たらしめ悪たらしめるものは悉く心である。「思」である。意志である。」「心と意思が罪と業の原因をなすのであるからわれわれは本来無我である。思いは輪廻転生の原因であってても主体ではない。主体はついにわからずじまいである。来世はただ今世の連続である、この世と一つながりでつづいてゆく終夜の灯明の火が生なのであった。」
仏教は「我(アートマン)」を否定し、その来世へつながる「霊魂」も否定した。死んで一切が無に帰するとすれば、悪行によって悪趣に堕ち、善業によって善趣に登るのは一体何者か、仏教がいっさいは空であるとして否定した我(アートマン)の思想と、仏教の輪廻の思想の矛盾が各派に分かれた論争しながら、理論的帰結を得られなかったのが小乗仏教。
「何が生死に輪廻し、あるいは浄土に往生するのか?一体何が?」この解を出したのが大乗仏教の中の唯心論で、インドの無著(アサンガ)から始まり、三蔵法師により中国にもたらされ、7世紀頃には日本にも伝わった。
唯識論はわれわれは、眼、耳、鼻、舌、身、意の六識の奥の無意識の世界に、第七識たる未那識(まなしき)、すなわち自我の意識があり、さらにそのさらに奥に、阿頼耶識という究極の識を設想する。目で色や形を捉え、耳で聞き、鼻で香りを舌で味を感じ、第六意識、脳神経が世界を組み立て、未那識が認識する。さらにこの奥の阿頼耶は一切の活動の結果である種子を蔵(おさ)めている。そして、この種子は様々な条件のもとで行為をする(現行)そしてその行為はその種子を阿頼耶識に送られ植えつけられる。これらすべてを記憶し保存し意識下に情報として蓄える種子となる。これらが転がるように展開し、種子と現行の因果、現行と種子の因果は同時に行われる。
種子生現行 現行薫種子 三法展転 因果同時
唯識論では、阿頼耶識自体に、輪廻転生を惹き起こす主体も動力も、二つとも含まれているとする。
「過去の存在も、未来の存在も、何一つ確証はなく、わが手で触れ、わが目で見ることができる現在一刹那だけが実有だ。」この無明の長夜にひとり目ざめて、一刹那一刹那、存在と実有を保証しつづける北極星のような究極の識が、阿頼耶識である。「現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識であるならば、同時に、世界の一切を顕現させている阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである。」
人は外界を認識して空間を作り、その像と気分と行為を記億して保存し、空間のように認識して時間にする。 生と死を支配する阿頼耶識は、生命の起源からその永遠の上流から流れる暴流に例えられる。恒に転ずること、暴流のごとし。その種子が生命をうみ、その周りの自然を生むが、阿頼耶識が有根身(肉体)を失えば、それを取り巻く自然(器世間)も意味をなくし種子のみ残る。再び結生の識として新たに生まれるものが次の世の阿頼耶識となり輪廻転生する。
第二部は11年後。月日は流れ、本多は58歳になる。戦後生き残った本多の別荘地御殿場に舞台を移して、物語は進む。18才になったジンジャン(月光姫)が日本に留学し再び本多に出会う。鮮やかな色彩に彩られた絵巻物、輪廻転生する松枝清顕そして飯沼勲、二人と同じ3つの黒子をジンジャンの脇に見つける。
一体この私とは何かをつきつめる本多邦繁を主人公に、架空のタイの皇女を中心に物語は組み立てられる。しかしこの主役ジンジャンの心は語られることなく、心不在のままでコブラに噛まれ命を落とす結末になる。
1972年に書かれたこの小説は、日本文化に代わって、民主、自由、経済が至上のものとなり、経済発展の道を駆け上る時代の日本で発表された。小説の中の夢物語と現実の世界を並列させて作家としての生活を送ってきた作者は、この小説を書き上げた後、「暁の寺以外の現実はすべてこの瞬間に紙屑となった。」と語っている。
奔馬で政治思想編を創り上げた。その続編としての暁の寺は輪廻転生する物語をタイ王室の月光姫を主役にした、バタイユを乗り越えた宗教小説を書きつつ、大乗仏教の唯識論の世界に自ら没入していった。しかし現実の生活の戒律である心のうちの煩悩、貪(むさぼる)、瞋(排除する)、癡(道理に暗い)、慢(他を侮る)、疑(真理をわきまえない)悪見(誤った見解)などの事柄には無関心で、社会生活する人間の本性、自己愛の未那識には言及することなく、生や死や認識論としての大乗仏教の唯識論に共鳴した。小説の構築は登場人物の生活や世界の描写は二次的にして三島由紀夫の観念、その刹那の世界観を全精力を傾けて文字にし、遺書とした。
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