国道9号線を鳥取市から西に10分ほどでイナバのシロウサギ伝説の白兎海岸が見られ、そのまま西へ走ると国引き伝説の大山と弓浜半島、さらに西に進むと出雲大社にたどり着く。この古代出雲地方の伝説、出雲神話は現在の島根県から鳥取県にかけて支配した豪族の物語で、出雲地方は大国主命が治め、その後天照大神に国譲りしたと記されている。
人は言葉によって経験を互いに交換できる。それが会話であり、文字の発明によってそれが、時間的にも空間的にも拡大する。そして記録が生まれ、歴史が生まれた。
人間は、環境への意味をつけて理解する。この意味ずけ、シンボルの世界が思想の底辺にあり、宗教や芸術、科学などの人間精神の高度の活動様式はシンボルの世界の産物である。人間は全く無意味な混沌の世界には耐えられない。出来事を、時間と空間の中に意味ずけて、宇宙像、世界像、世間像を作る。
神話はあらゆる原始文化に存在し、人間のシンボルの構築に大きな役割をはたす。神話的世界像と現代人の世界像の間にはそれほどの隔たりはない。神話は、たんなる気まぐれの幻想、思いつきの所産ではない。人間が自己をとりまく圧倒的自然をコントロールしようとしたとき、すなわち人間が文明をつくったとき、神話は造られた。
人間は意味ない世界に生きられない。言いかえれば宗教のない世界で生きてゆくことはできない。いかなる人も社会も自然的事象の背後に潜む見えない何ものか、神々、超人的能力、精霊の観念を持っている。われわれが非日常的なことに遭遇したときそれを、超自然的な精霊や神々のからの働きかけとして、これを意味ずける。
人間に言葉と意識が生まれ、伝説は言語化され、神話の物語となる。そしてそれが書物となり後の世に伝わる。
4世紀から5世紀にかけて、大陸や朝鮮半島から渡来人が、日本にやってきて漢字が入ってくる。こうして縄文以来の語り部の言葉から、文字の時代になる。魏志倭人伝の卑弥呼や邪馬台の記載はこのころのことで、古代、日本社会では天皇氏が他の氏族を征服していく、天皇の祖先が日本の西から、出雲一族など異族集団を打ち破りしだいに日本を統合して大和に政権を打ち立てた。6世紀古代の大和政権は継体天皇(26代)の代で確立しつつあった。
昔々、神の時代は人間と神は渾然として一体であった。ギリシャ神話は、日本の神話とかなり似たところがある。世界はカオスであった。そこから大地の女神ガイアが生まれ、天空の神ウラノスとともに天地を創造した。そして、自然の中で神々が人間と似たように振舞い、喜怒哀楽を持って、物語を展開する。そしてそのギリシャでは神の声を人間は聞いて、そのあやつり人形のように戦い、決断する。一方、日本の神話では、イザナミとイサナギが日本の大地を創造する、神は人であり、神がそこでは人間と同じように活躍する。
ギリシャ神話のオルフェウスが妻を取り戻しに冥界に行って、後ろを振り返らないという約束を破ったために妻を失う物語同じように、死亡した妻イザナミを取り戻しに行ったイザナギが冥界でみてはいけない姿を見た、そしてイザナギは黄泉の国から逃げ帰り、日向でミソギをした物語がある。日本では、その黄泉の国は、神話では、出雲国のイフヤ坂にあり、この世との境になっていた。この黄泉の国はやがて仏教が入ってきてから、地下の根の国になり、地獄になった。
イサナギとイザナミが3貴子を生み、天照大神に高天原、月読命に夜の食国、タケハヤスサノオに海原の統治を命じた。 イサナギとイザナミのこどもスサノオのみことは亡き母イザナミのもとに帰りたいと言って泣きわめく。その暴行でアマテラスの神聖な祭儀を壊したとしてその地からの追放の刑に処される。追放地に向かう前にスサノオは事情を説明するため高天原を訪れる。アマテラスは高天原を奪うのではないかと恐れ、完全武装して、なぜ登ってくるのかと聞く。それに対して、私の心には邪心なく、また異心なしと答える。ここに日本古来からの清き心の大切さの源流を見る。
その後、スサノオは農耕を荒らす悪神として、根の国に追放されながら、出雲神話ではヤマタノオロチを退治する英雄となる。やがて、皮をはがれた白兎を助けた大国主命が、スサノオの娘と結婚して出雲国をつくる物語となる。そしてアマテラスに国を譲る。
古事記の中には、古代人、神々の行動原理が描かれている。非日常的な力を表すものとして、タマとカミがあり、カミは尊いもの、善いもの、勇ましいもののみでなく、悪しきもの、怪しいもの、奇妙なものを含んでいる。尋常を超えて能力を持つも、畏るべきものは、人、鳥獣、山川草木などすべてがカミである。非日常的な祝福や災厄を日常から追い払う、呪術によってタマを鎮め、それを祓う。タマ、カミを鎮めタタリ、ケガレをミソギでキヨメる。精霊のタタリとともにツミもミソギによって洗い流される。みそぎによって、自然現象も罪も洗い流されるキヨメの意味となる。これが日本古来の、古代人の思考の原型を作り、神道に受け継がれたと考えられる。
紀元3世紀になると、純粋な呪術から祭儀への発展が見られる。 呪術師による災厄の除去と、福の招来の、吉凶世界から人間が神々の秩序に逆らい災厄が起こる、それが罪であるという意識、善悪が誕生し、精霊から神々に対する祈願や崇拝に変化してくる。神々に対する祈願から、やがて儀礼が、神々の信仰の象徴になる。 呪術から祭儀となり、後には、天皇は神道の最高祭祀者として、祭祀や儀式を執り行う役割を担い、神道の神職も天皇から派遣され、神社の運営や神事を行なっていくことになり、神道へと発展していく。
日本書紀には、仏教伝来以前の八百万の神の存在が記載されている。日本の仏教は、552年頃に百済の聖明王から仏具と経典一式が献上されたことで公式には伝来する。日本書紀には「西蕃の献れる仏の相貌端巌し。全ら未だ曾て有ず。礼ふべきや不や。」と問われ、蘇我大臣は日本だけが、仏教に反対することはないと言い、物部氏は、「天地社稷の百八十神を以って、春夏秋冬、祭拝りたまふことを事とす。方に今改めて蕃神を拝みたまはば、恐らくは国神の怒りを致したまはむ。」受け入れに反対した。そのころ蘇我氏が物部氏に勝って権力を得て、仏教を日本で公認した。
この蘇我氏に擁立された聖徳太子の17条の憲法で仏法僧の三宝を敬う政策で、氏族の仏教は次第に国家仏教、すなわち天皇の鎮護する宗教となってきた。17条の憲法の中で、日本国の存在、政治の権威もまた、仏教的、普遍的な正義を強調している。こうして、日本古来の思想は仏教的思想に支えられ、全土に広がって行く。
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