2026/10/01

ドイツ憧れの80年 ein von Deutschland Bessener


 「死んでしまいたいとさえ思いましたのに、いつしか春も過ぎ、夏も過ぎ、秋さえ巡ってきてしまいました。とりわけ悲しいのは秋の空。常よりもなおまさる涙に枕も袖も濡れてしまって、ほのぼのと差し入る月影も曇り、春よりもいっそう朧になってしまいますと、形見に分けていただいた袖の面影も、想い出のよすがにさえなりそうもありません。」

                            石井 元政

 日本の秋の夜の虫の音、夜な夜な秋風とともの聴こえるこのもの悲しさ、無常感やメランコリーの心情は平安時代の藤原定家の「浦のあらやの秋の夕暮れ」から、江戸時代の石井 元政 そして明治時代から現代まで続いている。 

 悲しみや孤独のドイツロマン主義の時代が19世紀に起こった。画家たちは太陽よりも月夜、霧、海、森、廃墟などを好んで描いた。ロマン主義は理性よりも感性によって真理に近づこうとする芸術運動で、その中心にドレスデンがあり、1839年ヨハン クリスティアン クラウゼン ダールが「満月のドレスデン」を発表した。フリードリッヒは「月を眺める二人」カールスは「リューゲン島の月夜」エーメは「サレルノ湾の月夜」ギレは「月光習作」を描いた。日本人が秋の月を見てもののあわれを感じ、ドイツのロンマン主義は月夜の森に孤独を見る。

 明治4年(1871年)から明治6年(1873年)にかけて、右大臣岩倉具視を特命全権大使とするいわゆる岩倉使節団が欧米12カ国、120の都市を訪問して回った。団員には木戸孝允、大久保利通、伊藤博文など後の政府の要職を占める若手官僚 約50名が随行すると言う政府を挙げての大視察旅行であった。この世界の現状認識から明治の新国家の形成に大きな影響を与えた。この視察旅行は、政治、経済、行政、工業、商業、教育、文化等近代国家なあらゆる側面を見て回るものであった。


 その中に、パリ市の記で「18世紀初頭にはルイ14世はヨーロッパで最も敬愛される帝王と称され、この時代ドイツの王侯はたちは、ルイ14世厚誼を得たいと考えて、競ってパリにやってきた。彼らはみなフランスの言葉やエチケット、風俗を模範として自国の宮廷にも移し替え、フランスのような専制政治の政体を基準としようと考えた。国民の間の議論を、王権の虚飾的外観によって威圧してしまうことこそ、優れた政策であると考えた。」

 この頃のドイツ貴族の少年たちのパリの遊学に対して、当時の批判が残されている。「当時のドイツの貴族たちが貴重な時間と金を無駄遣いしてフランスに遊学した結果はほかでもない。ただ軽薄に浪費をこととし、欲望ばかりがむやみに強く、傲慢無礼な振る舞いをしてあらゆるものを軽蔑し、廉恥心や道徳心を失ってしまった。放埒な快楽に走り、滑稽な虚飾こそ大切なことと考え、いたずらに外見を飾って人を騙すようなことばかり考えるようになった。」


  使節団は、その後ベルギーオランダの後プロイセンを訪れ、「この国の考え方は、英仏などより我が国の考え方と大変似ているところがある。この国の政治経済事情を研究することは、英仏の事情を学ぶより利益が多いことがあるだろう。」と記録されている。戦後アメリカのプラグマティズムや一時的に流行したフランス的享楽主義より明治初期にはプロイセン、ドイツに親近感を抱き、その制度を多く取り入れ明治の日本の形を作っていった。そしてこの制度や文化は戦前から第二次大戦中まで続いた。



 この使節団に加わった伊藤博文は欧州で各国の憲法を調べ、とりわけプロイセンの国家体制に強い関心を持ち、それを日本の憲法構想の重要な参考にした。陸軍についても、最終的にドイツ プロイセンの影響が非常に強くなる。特に徴兵制、軍の近代的組式、参謀制度、軍事教育などでドイツを参考にした。

 ドイツ留学生の活動の場は最初は医学校にで始まった。日本の医療システムはドイツのシステムを取り入れ、医局講座制ができ、それによって大学を医学教育と研究の中心にし、教授を中心に専門分野を作り、医学研究を重視するシステムが戦後しばらく続いた。 

 その後、医学という枠を超えて明治政府が推進するその他の分野にもドイツ留学組は活躍するようになった。内務省には品川弥二郎、外務省には青木周蔵、陸軍省には桂太郎などドイツ留学組が活躍し、司法省や文部省や大蔵省にもドイツ留学組が増えた。明治8年から30年までの官費留学生159名中104名、65%がドイツに向かった。

 明治5年(1872年)の最初の教育制度には、アメリカ的な学校制度の影響がかなり見られた。小学校を全国に作り、国民の基礎学力を上げる。しかし明治時代国家を支える人材、官僚、法律家、軍人、医師、技術者が必要となりその養成のためには、ドイツ型の帝国大学、旧制高校が作られた。

 この旧制高校では、ドイツのギムナジウムなどの影響を色濃く反映し、文学や哲学を寮生活の中で語る場となった。カント、ショーペンハウエルやニーチェなどの哲学書を読みトーマスマンやヘッセのドイツ教養主義文学を読み、それらをもとに人生を熱く語った。

 第二次大戦にドイツ日本は敗れ、日本はアメリカに統治された。そして憲法、法律、医療、教育あらゆる分野で、アメリカ型のシステムが取り入れられ日本の戦後が始まった。流行や文化もアメリカの影響が強く、第一外国語も戦前のドイツ語から英語に変わった。

 戦前のドイツかぶれの時代は80年で終わり、戦後80年経った今、アメリカ民主主義の輝きは急速に消えつつある。

 

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