日本は,1868年の明治維新以降,富国強兵、殖産興業を合い言葉に教育,政治、経済、軍事の近代化を進め、ドイツにならった憲法のもと、地域での大国の道を邁進しました。1894年日清戦争で勝利し、1904年に、日露戦争でロシアを破り、この2つの戦争により、アジアの強国の地位を固め、侵略併合,植民地化をされる危険は当分なくなった時でした。
日本ではこの時代の代表的作家は森鴎外です。この日清,日露戦争に森鴎外は軍医として従軍し多くの詩や日記を残しています。
鴎外の家は代々、津和野藩亀井家の御典医で、1862年に生まれ、15歳で東京大学医学部本科生となり,19歳で卒業。1884年から4年間ドイツに留学し、帰国後、陸軍医学舎教官兼陸軍大学校教官となりました。そして明治23年(1880年)に初めての小説“舞姫”を発表しました。
明治27年(1894年)日清戦争に従軍。明治37年(1904年)、42歳で第2軍軍医部長として日露戦争に出征。
多くの従軍記録や詩とともに第2軍軍歌を残しています。
海の氷こごる北国も
春風今ぞ吹き渡る、
三百年来跋扈せし
ロシアを討たん時は来ぬ。
16世紀の末つかた ウラルを越えし昔より、
勇あり智なき すええでん
武運つたなき ぽおらんど
歯に立つものの なきままに
我慢は世世に つのり来ぬ
帝政ロシアは海外に植民地を持たないものの、ヨーロッパではスエーデンを破り,ポーランドを併合し、極東ではしだいに南下政策をとるロシアを討つぞと歌った愛国の情あふれる軍歌でした。また、国木田独歩は戦時通信として国民新聞に愛国的記事を送り、田山花袋も日露戦争写真画報に前線レポートの記事を連載しました。
明治45年(1912年)7月、鴎外五十歳の時、 明治天皇崩御。乃木将軍夫妻自刃。“興津弥五衛門の遺書”でこの事件を肯定的に描き、同年“かのように”を発表しました。
その後“阿部一族”“山椒大夫”“大塩平八郎”などで、虐げられた弱きものの心情を描いた歴史小説を多く残しています。内容は,軍医として国家のもとの忠誠心からしだいにはなれ、歴史上の人物に仮託して個我の問題を取り上げ、それを主題として描くように変わっていきました。