開高 健のベトナム戦争
“それぞれの国には、それぞれの土の匂いがする、 ベトナムの匂いはすべてニョク マム”で始まる ベトナム戦記を開高 健が1965年に発表。
サイゴンの北にある森林地帯の共産軍(ベトコン)連帯司令部の破壊の作戦はベン キャットの名で呼ばれ、その南ベトナム軍による掃討作戦に同行し、ベトコン側の猛攻をうけ、200人の南ベトナム軍の第一大隊のうち生き残ったのは作者の開高健と秋元カメラマンを含め17人だった。
この従軍体験を描き当時話題になった“ベトナム戦記”は、1964年から65年にかけて週刊朝日に連載されたルポをまとめたもので,当時のサイゴンの状況を報告しています。
彼は多くの庶民、軍人、政府高官,アメリカ兵の話を聞き、混沌とした状況から真実をつかみ取ろうとしたルポルタージュを連載、今さらながら的確に未来を正しく予感していることに驚かされます。
その時期、ベトナム戦争はまだ南ベトナムの小規模な内戦でした。その後、北ベトナム共産勢力対アメリカの戦争になり、やがて南ベトナム政府軍は解放戦線に破れることになります。すでにこのルポの中にその予想が書かれています。このベトナムの戦場の体験を題材に“輝ける闇”と“夏の闇”を小説化し戦場の現実、虚構でない人々の真実を描きました。
ベトナムの歴史は被支配者との戦いの歴史で,1000年以上前から中国の圧力をうけ、19世紀にはいってからは、イギリスとのインド植民地化に対抗してフランスが1887年フランス領インドシナ連邦をつくり現在のラオス、カンボジアとともにベトナムは植民地化されました。
1940年に日本軍が仏印に駐留しフランス軍を武装解除し。その日本軍が撤退すると、かつての植民地の再支配をねらうフランスと民族解放の抵抗運動がおこり、第一次インドシナ戦争と呼ばれています(1946年から1954年)。そのころの反植民地の戦いに参加した人はベトミンと呼ばれ、少数ながらその中には旧日本軍の兵士もいて、彼らを訓練,指揮していました。
1954年ベトミン軍がフランス軍の拠点デェンビエンフーを陥落させ,フランスはベトナムから撤退。ジュネーブ協定で17度線の北と南にベトナムは分割されました。
その後フランスに変わってアメリカが共産化のドミノ理論を唱え、南べトナムに軍隊を派遣しました。第二次インドシナ戦争(1960年から1975年)とよばれ,このルポの発表された1965年頃はまだ東南アジアの小さな国の内線が激しくなっている時期でした。
やがてアメリカの北爆から、アメリカ正規軍投入、枯葉作戦、最新兵器を使い、対ゲリラ作戦を実行した10年にわたるベトナム戦争が1975年サイゴン陥落まで続くことになります。
開高 健は“裸の王様”で芥川賞を受賞し、“青い月曜日”で自伝を描き、虚構の文学ではない、現実の中の正真正銘の人間を描く文学を生み出しました。1974年以降は、fishingで世界を飛び回り、“もっと広く”“もっと高く”“オーパ”などで釣りと人生と旅を謳歌しました。


