「仏法も神道も朝儀も嘗て無世に成りにけり」。 太平記
国家は、人間が集団をつくり共同目的で活動するための物語によって創り出される。最初は、人々の声の届く範囲の集団部族であり、それが次第に各地方に豪族の集団ができる。日本で大和国が形成される以前から、シャーマン的権威による族長の長が天皇で、天皇の権威は呪術的支配者であった。
日本の神話は、やがて書物あるいは文字による記録である古事記や日本書紀に書かれ、多くの人々の間に広まり、範囲を広げ、定着していった。この神話は、国土の誕生と統治者の誕生の物語(国生み、国譲り、天孫降臨の天地開闢神話)を生み出した。
3世紀頃、多くの地方豪族を統合して邪馬台国から、日本全土を支配する大和国家を作る過程で、次第に天皇による支配は確立していった。その時、カリスマの対象として皇室の家、豪族の蘇我家などという氏が特殊な呪術的恩寵を受けているという観念、天皇のカリスマの世襲制、血統カリスマが生まれる。そしてがその天皇を支える世襲官僚制度が生まれ、4世紀頃には古代天皇制のヤマト国家という氏姓国家ができていた。
6世紀、、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏が対立し、蘇我馬子が戦いで勝利する。そして邪魔になった崇峻天皇を暗殺し、権力を握った蘇我馬子は女性天皇推古天皇を誕生させ、厩戸の皇子が皇太子として摂政に任命される。聖徳太子(厩戸の皇子)は、官僚制度の改革を行い世襲制の氏姓制度から、個人の能力によって官僚を登用する冠位12階を定め、その後大宝律令で位階制度にして、官僚組織を確立した。そして役人の守るべきことが書かれた17条の憲法がつくられた。こうして、書面に書かれ統一した国のかたちの日本ができ上がった。
奈良時代に仏教は日本の集団、共通の君主として天皇を認めさせ、人々を結びつける物語となった。国家宗教となった仏教は、聖武天皇の時代に僧寺である国分寺、尼寺である国分尼寺を全国に建立し、752年には奈良の東大寺に大仏を建てた。奈良時代と平安時代は、仏教は権力者と同じ物語、理念に基づく国家仏教であった。氏や家、国家の安泰を通じて、人々の幸福を求め、災厄から逃れるという古くからの呪術信仰から、舶来の煌びやかな黄金の仏像と、巨大な伽藍の中での読経の世界を受け入れ、全国に広まっていった。
平安の世界は、武士の台頭によって崩壊する。頼朝によって鎌倉時代には武士による政権が作られた。承久の乱では、天皇、上皇といえども天道に反すれば統治者の資格を失いうとして、北条軍は勝利し、上皇は隠岐に配流された。鎌倉幕府は朝廷から独立し、北条家は執権となり関東御成敗式目を定め、法の支配を行なった。
宗教は鎌倉時代、国家宗教から離れ日蓮宗や親鸞の浄土真宗、道元の禅宗などの新仏教がおこった。国家と離れた魂の救済の傾向を持っていたが、浄土真宗は平民の宗教として戦国時代に戦国大名と対立した。日蓮宗や禅宗は武士階級に浸透していった。そして再び武家の幕府や御家人、守護大名や戦国大名に取り入れられていった。
1333年建武の中興で、後醍醐天皇が武士の政権鎌倉幕府を倒し、天皇親政政治を行うも、すぐに崩壊し、足利尊氏が再び政権を武士の手に取り戻し、幕府を開く。その後 1392年までの60年間2人の天皇が併立する南北朝時代が続く。足利尊氏は政権の中枢に高兄弟を置いた。執事として高師直が将軍の命令を下したり申請を取り継ぎ、師泰が論功行賞を行なった。当時皇室、院の権威は完全に失墜していた。「師直は吉野に攻め入り、皇居に火を放ち、北野天神、蔵王権現を焼き払い、皇族。関白、公卿の子女を次々妾とする。師泰は河内で聖徳太子廟を焼き、廟内を略奪し、太子像の衣まで剥いだ。」と当時の高師直、師泰兄弟の傍若無人ぶりが、太平記に詳述されている。
室町幕府は三代将軍義満の時代、王朝趣味と異国趣味に染まっていく。幕府の公家的儀礼を武家の世界で打ち出し、武家の権力を王朝的権威で飾り、さらに中国の明の皇帝から日本国王の称号をもらい権力の正当性を築こうとした。こうして鎌倉末期、室町時代にかけて、秩序の源泉が崩壊し、むき出しの武力の衝突する時代が始まり、やがて応仁の乱、戦国時代になって統治の権威も社会規範も解体の一途を辿り、悪党の時代、下剋上の世界が訪れた。
16世紀には、どんな権威も法も武力の前には無力であった。織田信長は、全国を平定し、新たな秩序を作る必要に直面した。信長は天皇と将軍の権威に迫るため、1568年京都に入りする。足利義昭を将軍にたて、その権威、公儀のもとに、将軍の命令として、信長が政務を行なった。1573年幕府が無用のものとなると、義昭を追放した。そして自らが将軍職に就くことはなかった。当時イエズス会に対して、自分は王であり、内裏であり、神であると語っていた。天皇は信長を引き止めるために次々と官位を与えた。1578年に正二位に上った後、官位を辞退した。安土城を作り、天道の思想で宗教の領域の支配権を握った。安土城を神的な専制政治の儀式の場としようとした。安土城の城下には、イエスズ会のセミナリオや多くの寺を建てさせた。しかしその夢は、明智光秀によって絶たれた。
