2026/05/02

人型ロボット その3

 予測する機械


 2022年チャットGPTの出現によってAIが言語を操れるようになった。その後この機能の急速な進歩とともに、フィジカルAIの開発競争が起こり、現在ヒューマノイドロボット創世期になりつつある。 現在のロボットはすでに視覚 を使って、起こっている状態を推定し、未来を予想して行動ができる。そしてフィードバックで修正するというループを持っている。最近は、ロボットの中に、世界の内部モデルを作る。仮想空間で人間の経験と同じように、学習させ、ロボットが「この動きをするとどうなるか」を内部でシミュレーションするそして行動を決める 機能が開発されている。

 人工的に予測処理の脳を持ったヒューマノイド ロボットができるかは、多くの画像が世界を観察するセンサーとして働き、それを解析して人間の感覚に近いあるいはそれを上回る能力を持ち、感覚と予測を統合して人工の脳の中で世界のモデルが作れるかどうかが重要になる。現在人間の認知機能にあたる推論パターンの理解は急速に進歩している。

 しかし、人間は感覚から感情や記憶を使って状況を理解して行動することができるが、今のロボットはこれが統一できていない。 成功か失敗かは学習し局所的な対応は可能であるが、これは危険かどうか、重要かどうか、といった価値の判断はできない。人間は、どこに注意を向けるか何を無視するかで世界を構成する。ロボットはまだ全入力を均等に扱い、人間でいうノイズ耐性が弱い人「自閉スペクトラムに近い状態」が解決できていない。

さらに、世界を観察して、予測し、意味を解釈して行動に移す機能までは持っていない。この統合して分析する大脳系の役割とロボットの身体を動かす小脳系の統合はまだできていない。

自己モデルの進化

 生物の進化の歴史を辿ると、 最初はかなりシンプルで、生物はどこに自分の体があるか、何が危険か、どう動けば生き延びるかを判断する。次にこの動きをしたら捕食される、こっちに行けば餌があるという動く脳を持った生き物となり、脳は未来をシミュレーションする装置になっていく。 それは一個のニューロンが特定のものに対応するのではなく、ニューロンのパターンを脳が解読することができるようになったためである。

 そして捕食者の匂いを覚え、捕食者の姿を捉え、すばやく逃げることができた。こうして初期の脊椎動物は原始の海を生き延びることができた。5感による情報を集めて中枢神経によって情報を処理する仕組みは年月と共に進化していった。バラバラの刺激のまとまりのないパターンから時間と空間の中にある物体という知覚が生まれた。

 さらに、霊長類などの社会的動物になると協力、競争、騙し合いが生存に直結する。つまり相手のことを予想できる個体が有利になる。相手も「内側の状態」心を持っていると仮定する。たとえばあの個体は怒っている 。攻撃してくるかもしれない。あの個体は見ていない 。食べ物を横取りできる。相手に心があるのなら自分にも「心」があるはず。感情や信念を持って意図して行動する自分が生まれる。そして言葉によってそれが強化れ、 物語によって社会がつくられる。

 自分という存在は、己を知るために生まれたものではなく、生存のために周りの世界を理解する予測制度を上げるために生まれた。世界モデルができるそして、他者モデルができる。行動モデルができる。そしてそれらを統合する必要ができる、結果として「観測者」が内部に生成され、意識は生まれる。

 意識、自己は「理解するため」に生まれたのではなく「予測精度を上げるため」に生まれた。この不確実な世界でずーっと活動を続け、さまざまな活動をする身体を持つロボットは統合して、複雑化すると自己という構造ができてしまう。

感情を持つ機械

線虫のドーパミンニューロンは頭から小さな突起を伸ばし、その中に餌を感知するためだけに設計されたレセプターがある。これらのニューロンは餌を見つけると、その脳内にドーパミンを流し込む。それが数分続き、ドーパミンがふたたび低下して、線虫が逃走状態になるまで数分間続く。線虫のセロトニンニューロンには、喉に食べ物があることを感知するレセプターがあり、十分なセロトニンが放出されると、満足の状態が誘発される。 この原初の線虫の脳内の、ドーパミンとセロトニンの機能はミミズ、魚、ラット、人間に共通に認められ、感情的状態を起こす物質である。

 感情と呼ばれたものは、生物にとっては機能だった。ドーパミンは行動を促し、セロトニンは抑制する。ノルアドレナリンは危機に集中させ、オピオイドは回復をもたらす。

 現在ではAIの強化学習でドーパミン的なものを数式化している。報酬関数はドーパミンの代替となり、注意機構は重要な情報に集中する。さらに「好奇心」を持つアルゴリズムが開発され、未知を探索する動機が生まれつつある。知的好奇心を持った擬似ドーパミン的なものを作り出そうとしている。セロトニン的なやりすぎないAIは研究段階、一方アドレナリン重要な情報に集中することはかなりできている。

そして人間が空腹や疲労や痛みを感情を伴って感じるように、ロボットがエネルギーやモーターの負荷、温度を快や不快の人工的感情のように感じる仕組み、感情に似た制御の機構が機械はそれを、別の形で再現し始めている。

バッテリー残量、モーターの負荷、内部温度——それらは単なる数値ではなく、「避けるべき状態」「望ましい状態」として扱われるようになった。生物が空腹や疲労を感情として経験するように、機械もまた、内部状態を観察し、自分の状態を感じ始めるのかもしれない。


2026/04/13

フェイクとファクト

 






 一般に、どの社会においても「嘘」が公然と通用しはじめるとき、その社会は足元から崩れ始める。信頼が、共同体を支える基盤であり、それが損なわれれば社会はもはや協力の共同体として機能しなくなる。そのため人々は、協力を持続させるための規範や倫理を生み出してきた。

 日本でも江戸時代の小説家上田秋成は、小説自体が事実ではない物語で、小説家はそのため天罰が降ると考えていた。明治期に入ると、修身や道徳教育の中で「正直」は重要な徳目として強調され、信義に反することは人としての在り方に反するものとされていた。

 しかし時代とともに情報技術の発展し、真実と虚構の境界が徐々に揺るがされるようになってきた。瓦版は新聞へと変わり、印刷物は大量生産され、やがてラジオやテレビが登場し、マスメディアという巨大な情報が生まれた。そして現代のSNS時代においては、フェイクとファクトは瞬時に、同一の速度と形式で拡散されるようになり、両者の差は急速にあいまいになっていく。その結果として、かつて前提とされていた「高信頼社会」は揺らぎはじめている。

 そもそも、なぜ人間社会にはフェイクが生まれるか。それは人の予想する脳の機能から生まれる。ある表現が現実と一致するならばそれはファクトと呼ばれ、不一致であればフェイクとされる。この区別自体は単純である。しかし現実の人間にとって、世界は単純ではない。個人はつねに予測によって世界を創り出している。その構造は知覚の水準から社会制度にまで広がっている。

 イギリスの医学雑誌に報告された一例は、このことを象徴的に示している。足場から飛び降りた建築作業員が、着地の瞬間に15センチの釘が足を貫通したと目撃し、その強烈な痛みによって、動くことすらできなかった。強力な鎮痛剤が投与され、その後に靴を脱がせてみると、釘は実際には足の指の間を通過しており、組織には損傷がなかった。しかし彼の痛みは本物であった。

 彼が感じた激痛は、彼の脳が、見た証拠によって、重傷を負いそれによって引き起こされるはずの痛みを予想することで生み出された誤った知覚だった。脳は予想と感覚的証拠とを結びつけて、組み立てて経験とする。


 同様の構造は慢性疼痛にも見出される。慢性腰痛などでは、組織的損傷が消失した後も痛みが持続することがあり、世界人口の約10%がこの状態を経験している。実際に起きた傷や骨折、炎症などの組織が傷ついた痛みと、神経の痛みの情報を処理して、痛みを感じるシステムが働き過ぎて、慢性の痛みとなる神経障害性疼痛がある。そして誤った予想が定着すると、ますます変わりにくくなることがわかってきた。この予測はプラセボ効果や瞑想などによっても変容しうることが知られている。

 痛みは他の知覚と同じように、脳の予測と直接感じる知覚の相互作用によって形つくられる。そして人間の経験一般もまた、外界の刺激と、そこに先立つ予想や注意の置き方によってつくられる。したがって、私たちが「世界そのもの」をそのまま経験しているのではなく、無意識的な脳の予想と、注意する意識を通じて再構成された像なのである。

 この予測生成の仕組みは、ときに機能不全を起こす。自閉スペクトラム症において見られる感覚の過剰や統合の困難さは、その一例として理解できる。日常的には容易に統合されるはずの感覚情報がバラバラででお互いに関連なくされたまま、全体としての意味をつくることが出来ない。その結果、知覚によってもたらされる感覚的事柄と過去の経験から得られた知識のあいだに橋がかからず、世界が断片としてまとまりがつくりにくくなる。

 この「予測する力」は、個人の内側にはとどまらない。むしろそれは社会の構造そのものと重なり合っている。人間は共同体の中で言葉をつかい、相互にモデルを共有してきた。その過程で、本物と偽物を見分け、信頼する相手とイカサマ師を見破る方法を発達させた。信頼がなければ協力が成立せず、共同体そのものが維持できないからである。

 やがて集団が拡大し、民族や宗教、国家といった大規模な共同体へと発展すると、話し言葉だけではなく文字による情報伝達が必要となる。言語は世界をモデル化し、それを物語として固定する装置へと変わる。宗教は意味の体系を語り、国家は歴史を語り、イデオロギーは未来を語ることで、人々を結びつけてきた。しかしそれらの「物語」は決して単一ではなく、ある共同体における真実は、別の共同体においては虚偽として現れることもある。このような多くの物語の競合のなかで、民主主義が一定の地位を得たのは、それが誤りを修正しうる仕組みを持っていたからであった。


 そして最終的に、人間が陰謀論や単純な善悪の物語に引き寄せられるのもまた、この予測構造と無関係ではない。人は世界を理解するために仮説を立て、その仮説と一致する情報を「現実」として受け入れやすいようにできている。信じやすい脳はフェイクニュースもまた信じてしまう。

2026/04/09

文明の対立とAI戦争

  


2001年宇宙の旅は、干ばつに苦しむ類人猿の群れが、水や食料をめぐって他の群れに押され、絶滅寸前の状態にあった。そこにある日突然、正体不明のモノリスが現れ、類人猿はモノリスに触れ骨を武器として使うことを発見する。彼らは攻撃性を身につけ、やがて人類へと進化する。その獲物を捉え敵を攻撃する武器の骨が空中高く舞い上がり、2001年のコンピュータHAL9000に制御された、モノリス探査のために月に向かう宇宙船にシーンは変わる。


 人間は真実を見ているのではなく、納得できる物語を見ている。人間は物語を共有することで、困難を乗りこえ、生存してきた。 集団をまとめるために宗教が生まれ、カルトも生まれる。国家を作るためにイデオロギーが生まれ、セクトも生まれる。技術を開発し敵を倒して勝者が生存する。人々は宗教や言語、歴史価値観や制度などで自らを定義づける。そして我々の部族、宗教的共同社会、国家、我々の文明といった集団のアイデンティティーを確立する。


 人類は歴史上様々な文明を創ってきた。古代シュメールのメソポタミアやエジプト文明、古代ギリシャやローマビザンチンそして中央アメリカのアンデス文明。これらは滅亡した。現在残っているのは西欧文明とロシア正教文明、そしてイスラム文明、中華文明と日本文明とインドのヒンズー文明さらにラテンアメリカ文明がある。

1500年以前には世界の文明は、切り離され独立して繁栄していた。大型の帆船はなく、ユーラシア大陸は、草原をかける馬や砂漠を旅するラクダによって情報や技術はゆっくりと伝播していった。

 

 1500年から1750年にかけて西欧が組織的な軍隊をつくり、規律、訓練に優れ、大型の帆船を作り、遠洋航海が可能となった。そして輸送の技術の急速な発達とともに武器としての銃と大砲が作られた。それを使ってユーラシア大陸の西の端のポルトガルとスペインが海洋帝国を築き、大航海時代の覇者となった。 その後、ポルトガル、スペイン、オランダに代わりイギリスが遠洋航海の力と工業の力を使って覇者の座を占めることになった。


 そして技術を手にして武器を作り他の文明を支配して帝国を創り上げた西欧諸国の間でも同じ文明圏の中での平和は例外で、戦いは日常的に行われていた。

1648年にウエストファリア条約が結ばれるまでの150年間西欧文明の中では宗教戦争が起こり、30年戦争と呼ばれるカトリック陣営とプロテスタント陣営の戦争でヨーロッパは破壊尽くされ、その後も王位継承戦争が続いていた。ウェストファリア条約で宗教に軍事は関与しない取り決めがなされた。

 その後は国王や立憲君主が支配する国民国家ができ、軍を強化し、経済力をつけ、領土の拡大を目指し、互いに覇権を争っていた。その状態が第一次大戦まで続いた。2度の世界大戦の後、西欧文明から生まれたイデオロギー対立は共産主義の敗北で終わり、西欧型資本主義、新自由主義とアメリカ文化が世界に広がり普遍化した。

 2020年代に入り、ロシアとウクライナの戦争とイスラエル、アメリカとイランの戦争が起こっている。ロシアのウクライナ侵攻はロシア正教の文明と西欧の対立の側面がある。大陸国家ロシアは周囲のフランスやドイツといった西欧を敵とみなしている。 プーチン大統領は聖なるルーシーとしてロシアとベラルーシとウクライナを宗教的文化的に一体と見なし、ギリシャ正教をロシアの伝統の象徴であり精神的支柱と位置付けている。今回のウクライナ侵攻は西欧文明のNATO諸国から、ロシアを防衛する戦いと位置付けている。


 MA GA派と、キリスト教福音派とテクノリバタリアンに支えられて当選したトランプ大統領は、キリスト教ナショナリズムを前面に押し出して選挙に勝利した。一期目にアメリカ大使館をエルサレムに移転した。福音派にとってイスラエル建国とその後の戦争の背景には神の働きがあり、1967年の第3次中東戦争以降、東エルサレムをイスラエルが占拠するのも神の意志の表れである。文明を守る宗教と、その手段としての軍事力の行使は密接不可分で何ら矛盾するものではないと考えている。そして今年の2月28日イスラエル、アメリカはイランを攻撃した。 かつてサムエル ハンチントンの唱えた文明の衝突、西欧とロシア正教文明、アメリカ イスラエル文明対イスラム文明の戦いが始まったのようにも見える。


 人は最新の武器を手にした時、それを使いたくなる誘惑に駆られる。そして国家の対立では、物語を作り出してでも紛争の解決に高度な最先端の武器を使う。ベネズエラの大統領拘束で AIは各部隊の情報を統合し、作戦全体を可視化し、支援情報、判断、計画を高速化する司令部の頭脳の役割を担った。そしてイランの攻撃にはアンソロビック社の生成AIを組み込んだパランティア社のメイブン スマートシステムを使って、同時に1000以上の標的を攻撃した。

 今年の3月、AIに核のボタンを握らせ、互いに敵の行動を読みながら領土を争うゲームを繰り返した戦争シミュレーションの研究結果が発表された。AIは表向き相手国に友好的態度を示しつつ、裏では攻撃準備を進めジギルとハイド的な行動や計算高い鷹、あるいはマッドマンと名付けられた作戦を立てた。多くの確率で核兵器の使われる戦争に至った。


 2001年宇宙への旅ではHAL9000が反乱を起こす。2001年宇宙の旅は人類の攻撃性、AI技術の進歩した世界を預言した作品になっている。

2026/03/06

 物語を生み出す脳 とAI

 


 子供の頃の記憶に、春の日に、堤防を歩いて雲を眺め、雲がさまざまに形を変え、さまざまな人の顔や、動物に変わり、飽きずに空を見ていたことがあります。


 人は雲の中に人の顔をさがし、生物をさがし、その気持ちを読み取ろうとする。これは人間の脳が、ランダムな世界に秩序を見つけ、意味がないものにも意味を見つけ、物語を創造する能力を持っているためで、人は何にでも心を感じとり、ものや動物にも人間的心を持ったものと理解する。人と同じように心を樹木や、動物さらには、山や岩や川にも投影する。ここに世界中の民族に神話やアニミズムが生まれる心の仕組みの原型がある。


 人は集団で生活し、生存するために人の気持ちを読み取る能力が発達した。瞬間的に相手の顔から、その性格や立場まで予想し、相手の心を理解する。脳は外の世界のモデルを組み立てるのと同じように、心のモデルを組み立て相手が何を考え、何を感じ、何をするかを予測する。そうして4歳頃には相手の心を理解する能力が身についてくる。

 人は物語を読んだり、映画を見たり聞いたりした時、登場人物の心を自分の心でモデル化する。本を読み終えたり、映画を見終わった後、しばらくは架空の登場人物の声が聞こえたり、自分も主人公になったような気分が続く。

 


 人は生活している周りの環境に視線をあちこちにかえ、目をどこに向けるのか、どこに焦点を当てるのかを探して、選んでいる。人は際立った細部に目を向け、人は意味あるものに意識を向ける。人はものを見たとき、注意をむけた対象、椅子であれ、食べ物であれ、動物であれそれに関連するすべてのものを見ている。

 色や形、動きを見て、そして何らかの感覚や感情を引き起こす。人は春、日向に咲く赤いアネモネの花を見た時、赤い色、暖かい日、春風、そして過去の季節の記憶が呼び起こされる。小説だけでなく、詩や俳句といった短い言葉の連なりが人の記憶にに呼びかけて、喜びや悲しみあるいは爽快な気分といった感情を呼び起こす。


 脳は周囲の膨大で、乱雑な情報をいかにして単純な物語にするのか。その基本構造の一つは因果関係を見出すことで、現実の複雑な状況を、一つの事柄が、別のことを引き起こす、単純化された理論へと再構築する。

 20世紀の初めに、ソ連時代の映画監督プドフキンは、有名な俳優の顔の映像とスープの入った器、棺に安置された遺体、おもちゃのクマで遊ぶ少女、それぞれの映像を組み合わせて観客に見せた。観客は俳優の演技の演技を絶賛した。放置されたスープを見る彼の重苦しい憂いの表情を堪能し、死者を見つめるその深い悲しみに心を動かされ、遊びに興じる少女を見守る明るい楽しげな笑顔を称賛した。しかし3つの場面で使われた俳優の顔の映像は全く同じものであった。


 

 さらに人は死に直面した時これををどのように理解したらいいのか戸惑う。そして心の中に生まれる悲しみの感情を物語に変える。生命はどうして生まれ、世界や宇宙はどうなっているのか、これらの見えない世界の理解を神の存在に求める。人は世界を理解するのに、見えない意図を読み取ろうとする力が働き、物語を創造する、人は死を迎えることを理解した唯一の生き物であり、その不安をコントロールするためにも、死後の世界を創り出し心の平静を保つ。、こうして世界中の民族で宗教は生まれてくる。 



 AIの進歩によって小説、詩などの物語は作家のもの以上になり誰よりも優れた作品を生み出せるのか、そして絵画の制作や音楽の創作は AIに取って代わられるのか、さらに神話や宗教はどうなるのか、現在問題になっている。


 小説で普通の小説と純粋な文学小説の物語の根本的な違いは、大衆向けの小説が物語の変化はテンポ良く、明快で、誰もが理解しやすい。一方純文学は物語の展開は複雑で、曖昧なことが多い。鑑賞者である読者はそれを理解するのに、知識と努力を必要とする。何より純文学は心を描き、定型化を嫌う。現在AIは感情の起伏や、読者の好みのデーターを分析活用して普通の小説家や劇作家より巧みな物語を作り出せる。

 絵画では抽象画やポップ アートではすでにAIによって多くの作品が生まれている。また音楽ではポップスは、高度にパターン化された感情操作が定式化され、それを組み合わせて作品として創り出しやすい。AIによる漫画やユー チューブの制作は進化を加速させている。

 そしてAIはまた宗教に近いものもまた生み出すことができる。それは、AIは感情をもつ必要はないが、人の感情を引き起こすことはできる。抽象画があたかも神を感じさせ、崇高な気分に人をさせることができるのと同じように、AIは芸術作品をつくり、人々の好みに対応してそれに最適化させ、感情操作を高めることはできる。


 もし人々が、AIの物語を聖典にしたり、AIの判断を倫理の基準にしたり、AIを精神の拠り所とするようになったとき人間世界は根本的に変化してしまう。

2026/02/23

絵筆の魔術師 エッシャー マグリット モンドリアン

  人は、外界の色彩や形態から視覚の情報を受け取って、脳の中で3次元のイメージとして安定した世界を組み立てる。脳の2次元の絵から3次元の世界を推定する方法は、遠くほど小さく、近くになるほど大きいという遠近法。重なりや陰影のでき方、消失点などを使っている。

 人間の視覚のうち、局所の整合性が優先されると、全体としての矛盾を見逃してしまう。人はまず、局所である近くの線と隣接する角度を優先して世界を組み立て解釈する。脳にある、バラバラの線を意味ある形にまとめる機能を使って現実として判断する。目から入る、2次元の情報をもとにして、過去の経験から3次元の世界を推定して組み立てる。エッシャーの絵はこの推論システムの欠陥を使って非現実的な世界を構成し絵画にした。

 ネッカーの立体では、同じ線なのに手前にも見えるし奥にも見える。こうしたどちらでも見える図形を見たとき、脳はどちらかを選び解釈する。これは脳の特性で、同じ線で描かれた2次元の物体を手前に見えたり、奥に見えたりその時々の脳の判断で、変化する。絵は変わらないのにそれを観ている人の見方で、あるときそれが突然反転する。

 知覚は複数解釈の競合で、あるときは物体は凸に見え、あるときは同じ絵が凹になる。知覚が競合するとき脳はどちらかを選び、ある瞬間に反対側を選ぶ。パラダイムの変換が起きる。


 通常世界では、水は下に流れ、物体は下に落ちる。空間は連続している。脳はこれを前提として知覚している。エッシャーはこの前提を破った絵を描く。 そうすると鑑賞者の脳は前提を維持したまま解釈しようとする。こうして矛盾した現実が生まれる。


 結局、脳は現実を直接見ていないと言うより、まず物を見て近くの線や色や形を解釈して意味ある物として自動的につくり出す。その後に全体を見渡して絵の意味を解釈しようとして混乱をきたす。

 

 脳は現実世界は安定した秩序だったものとして世界モデルを作っている。ルネ マグリットの絵は夢のような非現実的な絵ではなく、人間の視覚のシステムでは整合性が取れているのに、何かおかしいと感じる、脳が現実であると認める確信を崩壊させる絵を描いた。

  「人間の条件」では、窓の外の風景と、キャンバスの絵が一致する作品で、どこまでが現実でどこまでが絵なのか分からなくなる。マグリットは「私は部屋から見える窓の前に、一枚の絵、その絵によって視界をさえぎられたちょうど同じ部分の風景を表した絵を置いた。したがって絵に表された木は、部屋の外のそれのうしろに位置するきの視界をさえぎった。鑑賞者にとってそれは、絵の中で部屋の内側にある木と、本物の風景のなかで外にあるのと、その両方のものとして、いわば心に同時に存在した。われわれはそれが自身の内側で経験する、心的現象であっても、自分の外側にあると見るのである。」



人の脳は、視覚的にキャンパスの絵と本物の風景を同じものとして捉える。表象(脳の中で組み立てられた仮説)と現実を無意識に同一と判断している。次に脳(前頭葉)は世界はこうあるべきと言うモデルを使って、外界の風景だと予想する。しかし実際の絵では風景は見えているがキャンパスに遮られている。こうして予想モデルは破綻する。マグリットはこの鑑賞者の脳内の2つのシステムの隙間を絵の中で表現した。

 ヨーロッパのシュールレアリズムやキュービズムの影響を受け継いで、20世紀の中頃になると、具象芸術に代わって抽象表現主義が絵画の主流になった。特にアメリカではニューヨーク派の画家がさまざまなスタイルの、新たな形態の抽象絵画を生み出した。ウィリアム デ クーニング、ジャクソン ボロック マーク ロスコの3人がその先導者となった。視覚の世界を形、線、色、光に還元してそれを組み立てた。これらの作品は、絵が物語を語らない。それぞれの作品は曖昧で、音楽のように色と形、配色と配置から、鑑賞者(の脳)が自分自身の印象、記憶、願望、や感情を絵の中に創造することになる。それは精神分析の転移や仏教の瞑想に近いものになってくる。

 ピート モンドリアンは、彼の抽象画を宇宙秩序の表現と考えていた。その絵を見た人は、そこからなんらかのスピリチュアル高揚感を感じていた。これは絵画によって、脳の記憶、情動、共感といった感情のシステムが働き、宗教的感覚が生まれるためである。

2026/01/25

西欧文明への懐疑 ゴーギャン

  



 人は外の世界を見て、それを脳内で組み立て、感情や記憶を使って物語として組み立てる。絵画はその絵をみた人が、色彩と形態から感情と記憶を呼び起こし、それを頭の中で組み立て直し、解釈して理解する。音楽もまた、その旋律がエピソード記憶に働きかけ情景を思い浮かべさせ、感情を引き起こす。

科学者は、自然を理解するため、自然のなかに意味のあるパターンを求め、それを理解するのに役立つパターンを求めて公式を作る。芸術も科学も、結局人間の想像力、脳のパターン認識の産物であることに変わりはない。そのため時代によってそのパラダイムは変化する。


 ルネッサンス以来、西欧絵画は、奥行きを表すために、二次元のキャンパスに光と影、色調を使って透視図法で視覚を通して、三次元空間を描き出す技法を開発してきた。西欧絵画は15世紀の初めから、19世紀の末まで、人物や自然の世界を3次元に広がる空間の中にある、区別でき、はっきりとした形として描いた。

 印象派から、やがて後期印象派に移る頃、この3次元の絵画から、平面的な2次元への回帰が起こった。19世紀まで絵画は2次元のキャンパスに3次元の情景を描き、この視覚情報から感情を引き起こし記憶をたどり物語を生み出すことで成り立っていた。


 19世紀の後半になり、そうではない新しい絵画が登場してきた。印象派は、一瞬を切り取って、キャンパスに描く視覚の絵画であった。やがてそれから決別し、平面的で、円形、三角形など単純化して描く絵画、見たものそれぞれの要素に還元してキャンパス上で再構築して描く手法をセザンヌは試みた。

 現実を描写するのではなく平面的で装飾的な色の組み合わせで内面の精神世界をも表現しようとする試みはウイーンのクリムトも始めた。クリムトは、人の心には意識しない無意識の世界があるというフロイトの理論を絵として表現した画家であった

 ゴーギャンもまた正確な3次元世界の模写ではなく、視覚の生み出す表象、光と色と形態がもたらす感情をキャンパス上に描いた。単純化した平面的な形態と色彩を使って、鮮烈な色彩と形の組み合わせのもたらす感情と記憶、それらが心の奥の無意識の世界、神や悪霊を生み出すたましいを呼び起こす。そんな絵画を試みた。西欧文明を脱出し、キリスト教文明に影響されない、原初の人々の生活、彼らの神話の世界を絵画で表現した。言葉で神話をつくるように、絵画で神話の世界を描き、原初の自然と一体化した人々の生きる世界で暮らし、人間の根源に迫る絵を生み出した。


  ゴーギャンは、当時の資本主義化された社会、ブルジョアの支配する社会、キリストの支配するフランス社会に、反発と嫌悪感を募らせていた。 1889年の黄色のキリスト像は、近代社会に磔にされるゴーギャン自身と、信仰を失った周囲の人々を、フランスのブルターニュ地方の畑ののなかに象徴として表現した。発表当時はまったく評価されなかった。その表現の拙さ、キリスト像の黄色の非現実性、平面的描写は当時の絵画の常識から外れていた。50年後、フォービズムやキュービズムや抽象画が絵画の世界で認められ、これらの先駆的な絵としての評価されたるようになった。


 ゴーギャンはタヒチ島に移住し、近代化されていない原始的と見られるポリネシアの人々の神話と、生活の中に生命の意味を見出した。一度めのタヒチ滞在1891年6月から1893年6月までタヒチで暮らし50点の絵画を創作した。そこにはタヒチの自然、精霊、信仰の世界があった。それを原色を使い、その強烈な色彩で、空間を構成し、平面上の2次元の空間に転生輪廻する時間を描いた。ゴーギャンは画家の目指すものとして、燃え立ってはいるが、やわらかな、静かな空気を表現し、魔術的な和音が、魂の最も深い部分に響いてくるように描いたと述べ、そして絵は線と色彩の組み合わせによる音楽であり、生活や自然から借りた主題は本質ではないと語っている。 これらの作品を1893年にパリの展覧会で発表した。ドガやマラルメには評価されたものの一般の人の評価は低かった。


 象徴派の詩人シャルル モリスとともに「ノア ノア」を描いて1897年その抜粋を雑誌に発表した。テウラと結婚し、小泉八雲がせつから聞いた日本の民話をもとに小説を書いたように、テウラの語るマオリの神話を聞いて絵画や木版画を制作した。大地は終わり、人間は死ぬであろう、そして再び生まれることはないだろう、しかし月は決して終わらないであろう。こうして「テポ 夜」や「宇宙は創られた」「神」「悪霊の光」「彼女は亡霊に想いを馳せる、または亡霊は彼女に思いを馳せる」などの木版画を制作した。




「死霊はみている」の絵では、「ドアを開けると、ランプは消え、部屋は真っ暗だった。ふいに危惧と不信の気持ちに襲われた。確かに鳥は飛んでいってしまったのだ。素早くマッチをすると私の目に入ったのは、   じっとして、裸のまま、ベッドにうつぶし、恐怖のあまりに目を法外に大きく見開いて、手裏は私を見つめ、しかも私だとわからないでいるようだだった。」と精霊(トウパパウ)への恐怖を絵にした。

 人は生まれつき、死や不安に直面した時、目に見えない霊や神の仕業と解釈する。マオリの世界ではトウパパウが現れると信じる。一人暗闇に残されたテウラはその時悪霊をみじかに感じた。女たちは普通に横たわり子どもは遊び老女は沈黙している。そして背景に神像や精霊が立つ。神は人間のすぐそばに佇む存在として描かれる。


 我々はどこから来たのかでは、「我々はどこからきたのか」右に赤ん坊としゃがんだ女性、中央には「我々は何者か」成熟した女性がリンゴを摘む姿を、左に「我々はどこに行くのか」老女と死の象徴という構図で、時間の流れを一枚の画面の中に描いた。ゴーギャンの死後約10年、ヨーロッパは第一次次世界大戦に突き進み西欧資本主義、キリスト教文明は崩壊する。

2026/01/01

感情、時間と空間の誕生

 




 神経調節物質は、人間が出現するはるか以前に進化していた。神経調節物質と感情のつながりは、線虫やミミズにも認められる。極小の神経系を持つ線虫。このシンプルな脳にもドーパミンとセロトニンの初期の機能が認められる。

 線虫のドーパミンニューロンは頭から小さな突起を伸ばし、その中に餌を感知するためだけに設計されたレセプターがある。これらのニューロンは餌を見つけると、その脳内にドーパミンを流し込む。それが数分続き、ドーパミンがふたたび低下して、線虫が逃走状態になるまで数分間続く。線虫のセロトニンニューロンには、喉に食べ物があることを感知するレセプターがあり、十分なセロトニンが放出されると、満足の状態が誘発される。 この原初の線虫の脳内の、ドーパミンとセロトニンの機能はミミズ、魚、ラット、人間に共通に認められ、感情的状態を起こす物質である。


 やがてこれらは進化して、ドーパミンは快楽そのもののシグナルではなく、人にとってはあるいは動物にとって、将来快楽が得られるだろうという予兆のシグナルになる。初期の生物のドーパミンが近くに良いものがあることの伝達シグナルから、脊椎動物に進化する過程で、物事がどれだけ良くなりそうかを予想し、その行動に駆り立てる感情を引き起こす。動物が報酬に近づくにつれて、ドーパミンの量は増加し、報酬が手に入ると予想された時にピークに達する。一方、セロトニンは報酬の追求を抑制する、満足を引き起こす。安堵と失望の感情はここから生まれる。


 パーキンソン病は、典型的な症状として運動を開始しにくい症状がある。この症状は、行動を起こすか、起こさないかを決める大脳基底核が障害され、行動が開始しにくくなる。

 脊椎動物の脳では、ドーパミンの放出はまず視床下部によってコントロールされる。寒い暑いを感知して、体が震えたり汗をかいたりする、そしてカロリーが必要なとき空腹を感じる。外的な刺激に反射的に反応する。視床下部は感情的反応と関連した体の機能を自動的に調整する。この視床下部がドーパミンニューロンに繋がっていて、感情の執行機関となる。

 視床下部が幸せだと、大脳基底核はドーパミンで溢れ、視床下部が機嫌が悪いと、大脳基底核のドーパミンが欠乏してしまう。この大脳基底核にはドーパミンからの刺激を受け取るレセプターがある。そしてドーパミンの放出が多くなるような行動を起こさせる。そして、ドーパミンの少なくなる行動は抑制される 。


 動物による薬物依存の研究がおこなわれている。サル、ラット、ハエなどそれらの動物は薬物に容易に依存するようになる。報酬とは接近行動を起こし、注意を向け、エネルギーをを注ぐ対象や出来事で、その行動はドーパミンによって引き起こされる。薬物によって脳内のドーパミンの量は持続的に増加し、高揚した気分を起こさせる。やがて薬物によっってドーパミンがシナプスから取り除かれなくなり、報酬系は薬物に乗っ取られ、依存症が出来上がる。


 敵に遭遇したときに闘争逃走反応を引き起こすのがノルエピネフリン、オクトバシン、アドレナリンでこれらが分泌され、心拍数を増加させ、血管を収縮させ、瞳孔を開き、睡眠、生殖、消化を抑制する。筋肉にエネルギーの消費を集中し、危機に対応するそのために様々な活動を停止する、細胞の成長を停止し、消化をやめ、生殖活動や免疫系も抑制される。これが急性のストレス反応である。

 しばらくしてこれに対抗して、このストレス反応を回復させる物質、オピオイド(麻薬物質)が分泌され回復に向かう。免疫反応、食欲、消化機能をもとに戻す。そして負の情動ニューロンを抑制し、痛みを抑制する。オピオイドは快楽を増やし、痛みを抑制する。


  5億年前のカンブリア紀の水中には、太い海藻に似た植物、珊瑚、そして脊椎動物の祖先それらと巨大な節足動物「アノマロカリス」砂の中で捕食の機会をうかがっていた。その捕食を逃れる能力を初期の脊椎動物は獲得した。この時期カンブリア爆発と呼ばれる、進化の加速が起こり動物は多様化した。


 このカンブリア紀の生存競争に生き残るために、脳を持つ動物が現れ進化した。単純な線虫などの左右対称の動物から、魚のような脊椎動物に進化した。これらの初期の脊椎動物の脳では、多くの新しい脳の構造を備えていた。 それは一個のニューロンが特定のものに対応するのではなく、ニューロンのパターンを脳が解読することができるようになった。そして捕食者の匂いを覚え、捕食者の姿を捉え、すばやく逃げることができた。こうして初期の脊椎動物は原始の海を生き延びることができた。


 3億8000年前、節足動物に遅れて脊椎動物の一部が陸に上がった。5感による情報を集めて中枢神経によって情報を処理する仕組みは年月と共に進化していった。自然界の様々な刺激、雑音を脳でまとまりに分解してそれを時間と空間の中に配置する必要がある。この世界を脳がどのように捉えるかが問題となる。

 蛙の脳は世界は明滅する影とあかりの世界で、それによってハエを捕え、鳥から逃げる。爬虫類は陸上生活に様々な形で適応した。初期の爬虫類の視覚は、哺乳類と異なり、視覚の情報は主に目の網膜でなされ、小さい脳は情報処理にはあまり役には立たず、蛙の視覚によく似たものと想像される。脊椎動物はその後、体は様々に進化したものの、脳の発達は何億年も停滞した。今生きているの魚類と爬虫類の脳はほとんど同じであった。一方、哺乳類は昼間の捕食者の支配する世界を避けて夜間に活動するために新皮質ができ、聴覚や臭覚を長距離感覚として進化させていった。聴覚は空間ではなく、時間的な幅を持った情報を扱い、それを脳が解釈する、すなわち空間の地図と同じように時間を扱う必要が生まれた。こうしてバラバラの刺激のまとまりのないパターンから時間と空間の中にある物体という知覚が生まれた。


 哺乳類や鳥類そしてタコなど、多くの動物で人間のような言語は持たないが、知的な活動ができる。それは強力な世界モデルを学習する能力であり、それによって自分の行動の結果を予測し、目標を達成するための行動を探索し、計画する。

 大脳皮質は感覚を通して世界を認識する。そしてそれを時間と空間の中で再構築する。そして想像して、予想する。新皮質は外界の内的なモデル、世界モデルを創り出す、周りの現実世界から切り離された、そこにはないものを想像する、想像力、すなわち未来の可能性を描き出し、過去の出来事を生き返らせる能力が生まれた。


人類は長い年月をかけて進化を遂げた脳のおかげで、我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのかに関心の持つ唯一の生物になった。