2024/10/12

ドイツ表現主義


  「これから何が起こるか、思いも及ばない。ヨーロッパの魂は、原初の昔から縛られていた野獣だ。それが自由になれば、 最初に見せせる行動が好ましいものであるはずがない。労働者が工場主を殴り殺そうと、ロシア人とドイツ人が撃ち合いをしようと、所有する者が交代するだけなのだ。しかしそれも無駄ではあるまい。それによって今日の理想に何の価値もないことが証明され、石器時代の神々が一掃されるからだ。現在の世界は死を、そして没落を望んでいる。実際そうなるだろう。」

 第一次世界大戦当時の欧州の時代精神を小説家のヘルマン ヘッセは書き記し、その時代の考え悩む青年の、精神の物語を、デーミアンで小説化した。1917年に発表された没落と再生の物語、全ヨーロッパ的文明の、一つの時代の没落と再生を示したエミールシンクレールの「鳥は卵の中から出ようと戦う」物語はドイツの戦後世代の多くの若者が求めていたものであった。。

 ドイツ表現主義は1905 年にドレスデン工科大学の建築科の学生たちによって結 成された橋(ブリュッケ)とい う名の美術運動で始まり、1910 年以後は造形芸術のみならず、音楽、詩、散文、演劇など 芸術全般に広がっていった。印象派の視線は外部の自然に向けられていた、一方表現主義は魂、心のうちの現実の観察者となった。 ドイツ表現主義はフロイトなどの心理学の研究に大きな影響を受けた。フロイトは現実の表面にあるものの奥に、無意識の抑圧された欲望やトラウマがある。表現主義はこの抑圧された記憶や感情を作品で表現した。そしてユングの集団的無意識象徴主義の影響を受け、さらに神秘主義思想の影響もあった。

 ドイツ表現主義の代表作、映画カルガリー博士が第一次対戦後に上演され、サイレントホラーの代表作となる。人間の内面を表現する、被写実的、幻視的な意識を表現する背景を3人の画家が共同して制作した、当時大衆社会が出現し、映画は多くの人々の関心の的となった。そしてワイマール共和国で生まれた表現主義の映画がドイツ映画の黄金時代を生み出した。 

 1886年オスカー ココシュカは生まれる。1908年「夢見る若者たち」で金魚の泳ぐ池や、鹿や鳥、蛇あるいは鹿の住むエデンの園の若い恋人たちを描いた。その後多くの肖像画を描き、 ココシュカは「肖像画において衝撃を与えるのは、顔や表現の仕方、身振りから直感的に得ようとした人物についての真実である。人の無意識の精神世界を明らかにするために絵を描いている。」とフロイト主義者、オーストリア最初の表現主義の画家を宣言した。 モデルの外見ではなくモデルの精神状態や感情気分を捉える絵、神経の絵画を発表した。「両親の手の中の赤ん坊」はあかんぼうと父親の赤みがかった左手と母親の白い柔らかな手で支えられる肖像は象徴主義的な家族の肖像であり、「遊ぶ子どもたち」でもまた子どもたちの無邪気さではなく5才の女の子と8歳の男の子の心の中の無意識の衝動を描き、のちにナチス政権下堕落絵画として、画廊から撤去された。


 エゴンシーレもまたこの時代を代表する画家で、心の葛藤、情緒の不安定、実存的不安を人物画で表現した。1890年生まれのシーレはクリムトに見出され、銀のクリムトとして認められ、多く自画像を描いた。カンディン スキーは、1907 年頃から神秘主義者シュタイナーの信奉者となった。カンディンスキーによれば芸術作品とは、人間の心の奥にある無意識の振動を、精神的なもの として具現化したものである。そしてバウハウスで教壇に立ち、教育の実践をし、具体的な対象の描写は自らの絵には不要であるとして「抽象絵画」を完成させた。。

 バウハウス運動はワイマール文化の中で国際的にもっとも大きな影響を及ぼした。ブルーノタウトのガラスのパビリオンはガラスを使ったデザインで感情に訴える建築を作り出した。そして多くの色彩建築、住宅団地を設計した。エーリッヒ メンデルゾーンは曲線で構成された不定形の天文台「アインシュタイン塔」を創み出した。1919年グロビウスによって総合的造形学校がワイマールに創設され、多くのモダニズム建築、デザインを研究その後の世界の建築や工芸に大きな影響を与えた。1933年ナチス政権によってミース ファン デア ローエが学長の時閉校させられた。



 1920年代のドイツはハイパーインフレに陥り、政治は混迷し、かつての豊かさと、大国の地位が失われ、民主主義的価値観は混乱し崩壊していった。1933年にナチスが政権を握る。 ナチス政権は表現主義やダダイズム、シュールレアリズムなどを退廃芸術として排除し、古代ギリシャ、ローマの芸術を模範とした、健全なアーリア人精神を表現する芸術を推進する文化運動を起こした。政権はドイツ人の国、アーリア人の国、ゲルマン国家を再生させ、再び偉大な国家にすることを目指した。

2024/09/25

ホラー映画の好きな人

  映画が誕生したのは1895年パリでの上演されたシネマトグラフで、翌年には「悪魔の館」で悪魔や変身するコウモリが登場し、史上初のホラー映画として知られる。その後第一次対戦後ドイツ表現主義の代表作であるサイレントホラー映画「カルガリ博士」が作られた。人の精神の内側を絵画的な映像で表現する、心理的な不安感を視覚的に訴える作品であった。その後アメリカで、フランケンシュタインや魔人ドラキュラ、透明人間、などのモンスター作品が制作された。


 その後のハリウッド映画では、エイリアン、ジョーズ、ジュラシックパークが有名で人間を襲い捕食する恐怖を掻き立てる。相手のエイリアンは異様な生物、完璧な構造、攻撃本能、人間的モラルは存在しない生物で人間を捕食する。ジョーズは文字通り人喰いザメであり、ジュラシックパークのモンスターは共同で捕食する恐竜の集団であった。これらは人の捕食に対する恐怖心やエイリアンのように何をするか予測できない相手に遭遇した時に不安感を呼び起こす。


 恐れ、恐怖心は起こりうる悪いことから身を守るために生まれた進化上のメカニズムである。生存のために必要な、 恐怖記憶を含む情動記憶は扁桃体で処理される。自律神経の支配する心臓の動悸や血圧を上昇させ、アドレナリンが分泌される生理的反応が起こる。これが恐怖の体験で最初に起きる反応で、その後に前頭葉が海馬の記憶と照らし合わせて合理的判断をする。 


 恐怖の感情の中枢である扁桃体は目新しいものによく反応し、視界の中心でなく視野の周辺にあらわれた怖い顔や影に即反応する。その2倍の時間をかけて恐怖の解釈が脳で始まる、そのため目にしたものに対する早い反応は脅威としてまず物事を認識して、その後で自分が何を見ているのかをゆっくり判断する。自分が扁桃体が保存する恐怖の記憶は、その状況の詳細な場面よりも、感情や感覚の情報に重点が置かれる。


 2009年にエイリアンやシャイニングを見た人の脳の様子を調べた研究では、扁桃体の動きは活発化しなかった。リアルな恐怖体験とスクリーン上の恐怖体験は別物で、恐怖反応よりも登場人物の窮状からの脱出に脳が反応していることがわかった。ホラー映画に人の脳は恐怖を感じ身体が反応するというより、軽い興奮状態になり、交感神経系は反応する。しかし前頭葉の大脳皮質は状況を理解して、安全な映画館で映画を見ていると判断している。恐怖の続くシーンで緊張していた観客はモンスターが負け人間が勝利した途端に、別の安堵の感情と満足感が込み上げる。


 結局、恐怖映画は人間の情動反応に働きかける。人は、暗闇に対する恐怖心を持っていて、夜に捕食者に遭遇することを避けるようになり、蛇とか蜘蛛などの毒を持った生物を避け危険な状況に陥らないように進化してきた。ホラー映画はその反応に働きかけ暗闇に恐ろしい異様なあるいは恐怖を起こす生物が現れ、人々を襲うシーンが不気味な音楽と共に始まる。しかし映画で観客はそれがフィクションであることを脳で理解している。そしてホラー体験の危機が去ったことを認識すると、脳はドーパミンを放出し、安堵感に伴う快感を感じる。ジュラシックパークはそれほど恐怖感を起こさない、ディズニーランド気分で見られる理由は人の脳の反応で、同じスピルバーグの初期の作品「激突」の方が追われる恐怖感ではむしろ上回っている。


 

 ホラー小説や詩や短歌俳句はではどのように人の心に働きかけるのか。古くから恐怖の場所地獄は世界中の宗教物語に登場する。19世紀に入ると映画化されたフランケンシュタインやドラキュラそして、エドガーアランポーの小説が出版され世界中の多くの読者を惹きつけた。 廃墟や薄暗い森の古い館を舞台にして「アッシャー家の崩壊」で妹の殺人と自らの死の恐怖を描き、「黒猫」人の心の狂気を描いた。またモルグ街の殺人のモンスターなど、その後も多くのホラー小説に影響を与えた。


 小説では物語を読者が想像力によって再構築し、前頭葉によって過去からの記憶を呼び覚まし、扁桃体を通して恐怖感は生み出される。

 

亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり


見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし   寺山修司


 小説に比べ短歌は感情を描写する力がより強い。原始的で本能的な情動系は大脳の前脳全皮質で普段は制御され抑制されている。寺山修司は短歌で意識の下の情動を呼び起こし、表現した。

 

赤き火事哄笑せしが今日黒し


薔薇の家犬が先ず死に老女死す   西東三鬼


芋虫の一夜の育ち恐ろしき     高野素十


戦争が廊下の奥に立ってゐた    渡邉白泉


 俳句ではさらに少ない言葉の連なりに人が反応し、そのその言葉の連想記憶で感情を呼び覚まし、不気味さや恐怖を呼び起こす。作者は情動を動かすも物語をつくり、読者はそれに共感する。それぞれの脳の活性化される分野の違いが、ホラー小説を生み出し、推理小説や冒険小説となり、教養小説になる。 

2024/09/11

人はなぜ印象で判断するのか

 人間は瞬時の直感的判断と、熟考による理論的な判断と二つの経路使って世界を理解する。

                          ダニエル カーネマン 


 普段人は頭の中で浮かぶ考えや印象、感情はほとんどどこから出てきたのかわからないままに、意識の中に浮かび上がってくる。日常生活のほとんどはこの自動的な速い思考でおこなている。人間の意識は脳の働きを完全にわかっているわけではない。この印象による判断は、無意識的であり時々思い込みによってバイアスが生まれる。それは、長い生存のために人類の進化の過程で作り出されたものである。人は、進化の過程で、生き残るために、まず、近ずいてくるのが敵か味方かを一瞬にして判断する必要があり、そして人であれば怒りの顔か、友好的な顔か直感的に思考判断する必要にせまられる。味方であればこれに近づき、敵であればこれから逃れようとする。そしてまた異変に気がつく前に行動していることがある人の体に危険が迫ると、不快な感情や不安感が自覚しない間に起き、危険を回避する反応が起きる。そして思考も、速い思考と呼ばれるシステムを使って無意識に物事を判断して行動する。


 この直感的思考の特徴は、 まず最初、人間は物事を見て二つの事柄があるときその因果関係を、素早く結び付けて、印象で判断する。限られた情報を、組み合わわせ辻褄の合うパターンとして組み立てるためにそれが不適切で、時には間違って使うことがある。当然その時記憶にない情報は判断の材料にならないし存在しないことになる。しかし、情報が本当かどうかとか、知らない事実があるかは直感的判断では、あまり気にしない。

 そしてこの速い思考の特徴は、くり返されて経験している、慣れ親しんだものを好むこと。 最近経験したことや、鮮明に残った記憶が無意識にその直感的判断に影響を与えること。新しい情報を処理するのに、最初の印象に影響されやすいことなどがある。そして、何より気分が判断に影響する。この感情や情動が思考と強く結びつくのは人の脳の中で生まれた、進化の産物である。


 レントゲン診断医が、同じX線写真を別の機会に見せられた時、20%で正常と異常の判断が前回と異なったという古くからの報告がある。そして、新生児の生死の予想は以前はそれぞれの医者や産婦人科医の判断で、その赤ちゃんが危険な状態か、どうかを決めていた。1953年麻酔医のアプガーは簡単で誰もが使える評価の方法を考えた。心臓の拍動数、呼吸の様子、刺激に対する反応、筋肉の緊張の度合い、皮膚の色を状態によって3段階に分け、生後の1分ごと5分後の二回評価する方法で、今でも古典的なアプガル スコアが優れた経験者よりも確実なアルゴリズムがあることがわかり、使われている。

 さらにカーネマンはイスラエル国防軍心理学部門に勤務中のイスラエルの軍人の適性を判断し、どの部隊に所属させるかを面接を行い、話を聞き、そして相手のまなざしや表情話の内容から軍の面接官が決めていた。しかしこの印象判断では、良い結果が得られなかったのでカーネマンは改革をおこなった。同じ質問を面接官がするように標準化した。そしてリーダーシップ、チームワーク、ストレス耐性の能力や特性の評価を数値化し、さらに複数の面接官が独立した評価をした。


 人は即時に反応が必要な時、生まれつき備わっている感情と印象判断の経路を使っている。おそらく多くの動物たちにもこのシステムがあり、地球上で生存してきた。 その後、第2の回路を使って、情報は前頭葉の前皮質に到達し、知覚と経験や記憶とてらしあわせて整頓する。この能力が人類では非常に発達している。この前頭前野は他の脳の部位より一億年ほど後に発達し、脳の大きなスペースを占め、計算、知的な思考、事実を確かめるといった他の生物にはない知的活動の司令塔である。ここで生まれる遅い思考は、努力、セルフコントロールを必要とする。、長く続けるためにかなりの努力が必要で、消耗して、疲れてくると、頭を使わない惰性でできる、いつもの方法をとるように頭は働く。


 人々が豊かになった世界で感性や直感的判断に訴える方法、コストや品質以上のより価値のある品物、ブランド品が世界的に流行し始めた。ブランド品は人々の感情や直感に働きかける。企業は商品の質よりまずブランドを生み出さなければならない。一番大切なのは感情に訴えるデザインそしてコンセプトである。 その始まりはフランスのエルメスやルイヴィトンといった高級ブランドで、20世紀の後半になると新しい企業がアメリカに登場しブランド戦略で世界を席巻した。ナイキやアップルやスターバックスで、まずそれらの会社は全く新しいアイデアやブランドを確立して、消費者の心をつかむ、その戦略は、人間の本性である、印象と帰属意識と憧れで、人はその品物を買い、ライフスタイルもまたブランド化された。さらに最近では政治もまた、ブランド商品と同じマーケット手法で人々の気分に訴えかけるようになってきた。新聞や文字による情報伝達が主流の時代には、遅い思考を使う必要があった。SNSの時代になると、遅い思考より速い思考と印象が、より重視され世界を動かすようになった。

 


 

 

2024/08/18

ニュータウンとタワーマンション

  ニュータウンの時代

 戦後の急速な都市化と高度経済成長の時代には、東京や大阪などの大都市圏でニュータウンが開発された。当時は、広い土地と新しい生活環境が提供される新しいニュータウンの戸建て住宅が、家族向けに非常に人気が高く、郊外でのマイホームはテレビでも憧れの街として登場していた。

 開発は自治体による大規模な住宅供給の一環として、製造業が日本の産業の中心になる時代に、職場と住居が近接、あるいは職場までの通勤が可能な、緑豊かな住まいとして開発された。1960年代から80年代にかけて、都市郊外を中心に、ニュータウンの建設が盛んになった。特に1970年からの約5年間は、全国で100カ所以上のニュータウンが開発された。その後も、1973年がピークで1990年のバブルの崩壊まで日本全国で造成され、

2000年以降、急速にニュータウンの建設は減少した。現在、国道交通省の全国ニュータウンリストによると、住んでいる人口は1千100万人、そのうち入居開始後40年以上のニュータウンだけで700万人が住んでいる。

  1989年ベルリンの壁が崩壊し、世界のグローバル化が進み、安価で豊かな労働人口が世界経済に参入し、企業は豊かな労働人口を求めて中国や東ヨーロッパに工場を建て始めた。日本企業もまた、中国やアジアの国々に資本を投入した。その結果、多くの製造業は海外に拠点を移し、海外で、安価な労働力を手に入れた。日本国内にある製造業の工場は縮小し、閉鎖されるようになってきた。

 そして日本は、バブルの崩壊の後に、30年デフレと言われる先進国病に陥った。第一に出生率の低下による少子化と高齢化。第二に、そのため社会保障費が膨らみ、その費用が恒常的に肥大化した。そして第三には国家の経済が成熟し国内産業の海外移転などで産業構造の空洞化のため低成長になった。

 産業構造の変化によって、かつてのニュータウンが依存していた工場や大規模企業の縮小や撤退で、通勤先が遠くなり、都心部への交通のアクセスが悪いと、働く人にとって魅力が薄れていった。さらに、家族の形態が変化し、2世代や3世代の同居はほとんどなくなった。それに拍車をかけたのが少子高齢化で、かつての平均寿命はますます伸び、平均寿命は80歳を超え、100歳以上の人口も現在約8万人になった。一方、少子化は歯止めがかからず、学校の生徒数は毎年減少して、小学校や中学校は統廃合に追い込まれる地域も出てきた。


 さらに国全体が少子高齢化になる中で、東京一極集中化が急速に進行してきた。かつての地方の中心的都市である大阪、名古屋、福岡、仙台、札幌からも若者が東京に流入している。それでも大阪や名古屋、福岡は、周辺の都市からは、現役の世代は流入し、都心部の再開発で、都市の行政や、産業を担う中枢機能は保たれている。一方、周辺の都市は、新陳代謝が起こらなくなったために、次第に経済的な吸引力が低下している。それと同時に周辺のニュータウンは、活力をうしなってきた。


 この現象は日本では、江戸時代の天保時代に遡る。天保の時代1830年頃、農村の飢饉がきっかけで、都市へ多くの住民が移り、特に江戸は、人口が増えすぎ、無宿者の犯罪も増えてきた。それに対して江戸幕府は水野忠邦が天保の改革の「人返し令」で、農民を地方に返し、荒廃した田畑を復興させようとした。しかし都市と農村の人々の不満は収まらず、地方再生の改革事業は失敗に終わった。


 タワーマンションの時代


 タワーマンションとは高さが20階以上で60メートル以上あり、共有の施設、緑地や空間を広く設ける建物を総称している。1980年代にかけて東京中心に立て始められたものの、高層住宅に対する抵抗感があり、当時は集合住宅が主流であった。バブル経済の崩壊後、2000年代に大都市圏での土地利用の効率化、都市開発プロジェクトの一環としてタワーマンションは本格的的に建て始められた。交通のアクセスが良く、コンビニを併設したりして生活の利便性がよく、マンション内にプールやジムが併設され、タワーマンションの人気が高まる。世界のグローバル化で産業構造が変化して、製造業が中心であったものが、日本でも情報産業やサービス業が拡大し、都市部で働く人にとって、職場に近い生活のできるタワーマンションは魅力的になってきた。

 さらに2013年の、デフレからの脱却のため、金利を低くして、お金を市場に行き渡らせて、景気を回復させるための緩和マネーが投資の目的もあって購買に向かわせたこと。世界的インフレによる材料費の値上がりとともに、10年前の2015年頃の東京の湾岸地区である晴海や豊洲では、タワーマンションの値段は高沸した。一方、中国では不動産価格の低迷や、中国国内での不動産が最長70年の使用権のみで、私有財産にはならないことや、国内資産の保有の不安から、日本やアジア各国の不動産を買う人々が増えている。日本の不動産であるタワーマンションもアクセスの良さや、安全性や、中国の富裕層にとっては魅力的な物件になっている。円安になるとともに、海外の豊かな人々も、東京の湾岸地区を中心としたタワーマンション購入に向かい、ブランド価値は高まり、社会的ステータスとしてますます人気になった。


 世界的にも、ニューヨーク市では、マンハッタンを中心に高級タワーマンションの建築が続き、海外の富裕層や、投資家はその豪華な内装や高級施設を求めて購入している。トロントでも急速な人口増加に対応した、高級住宅の建設が進み、アジアでは中国の北京、上海、深圳で高層住宅が林立している。パリなどの規制のある都市以外では、世界の都市競争とともに主要都市にはタワーマンションが次々と建設されている。


 アメリカでも、ピッツバーグのあるペンシルバニア州、デトロイトのあるミシガン州、オハイオ州やインディアナ州など産業構造の変化によって自動車産業や鉄鋼業が盛んな地域の工場は閉鎖され、グローバル化によって製造業は労働コストの低い国々に移転し、人口は減少しラストベルト地帯が生まれた。それを救済する公約を掲げてトランプ大統領が2017年当選した。

 一方、 トランプ大統領とその家族は、ニューヨーク市のマンハッタンに58階建てのトランプタワーを所有し、シカゴ、ラスベガス、ホノルルなどのアメリカ各地のトランプブランドのタワーマンションを持ち、トロント、バンクーバー、パナマ、フィリッピンにもトランプタワーを展開している。今後の展開最高級ブランドのトランンプタワーが、2025年ドバイにその後もサウジアラビアにも建てられる予定となている。


 今後、政治、経済、気候、災害などの急激な変動が起きない限り、この流れは当分続きそうに思われる。

2024/07/18

人の顔、人の心

 


 顔を認識する顔神経群(face patch)と呼ばれる脳のネットワークで顔だけに反応する6つの領域が発見された。これらは連動して、たとえ向きや形が少々変化しても誰であるかを顔から判断する。この顔神経群が障害されるさまざまな病気がある。 相貌失認症は眼や鼻、口はわかってもそれを一つにまとめられないために誰の顔かわからないことが起こる。 扁桃体が損傷されると、表情の失認がおこる。顔は認知できても、その表情の意味がわからない、恐怖の顔が認識できなくなる。そのために顔の情緒的意味が読み取れなくなる。また自閉症では顔の情報処理を普通と異なる方法で行う。そのため、相手の感情の原因を読み、行動を予測できない。その結果、人とはいい関係が結べないが、物とはいい関係を保つ。 カプグラ症候群では、顔の形と、感情的意味の情報が結びつかない。そして認知症になると相手の顔は認識できてもそれが誰であるかが解らなくなる。



 誰かの幸福感や恐怖の表情を見たときに活性化される脳の部分と、自分自身が幸福や恐怖を感じたときに活性化される脳の部分は同じである。こうして他人の行動を読み、他人の行動を予測する。ダイヤのエースを持ついかさま師の絵ようにその表情からその人の性格や行為まで読み取ることができた。17世紀の画家 ジョルジュ ド ラ トウールのダイヤのエースを持ついかさま師では、描いている4人の人物の心の状態が、絵だけでわかる。左側に派手な服装のいかさま師がカードを隠し、右側に裕福そうな服を着た、カードプレーヤー、真ん中の女性の目、これらを一目しただけで登場人物の心の状態が、性格に確信を持って読める。右端のカードから目を離さないプレーヤーはいかさま師に騙されているであろうと推測する。

 一般の人は人の表情から心を読んで心のうちのドラマを推測する。同じように絵画の登場人物の顔を見て、その絵を理解する。フェルメールの「ヴァージナルの前の二人」「婦人と召使」などの人々の表情から、脳にある記憶を当てはめその想像力を働かせ、絵の中の人物が何を考ええているかを夢中になって推測する。


 色彩の解放された印象派以降、肖像画も変化した。「私はいま、自らの裁量で色を使おうとしている。金髪を強調し、オレンジ色の色調、そしてクロム色や淡いレモンイエローに行きつく。頭の後ろに私がつくりうる中で最も豊かで濃い青を使い、無限の背景を描く。」こうして黄色や豊かで、濃い青色などコントラストの強い明る色を組み合わせて、顔を描いたゴッホ。あるいは不安な感情、強い情動を描いたムンクは新しい人物表現を生み出した。


 そしてココシュカは、フロイトに影響されて、心を読む肖像画を描き始めた。表面の下にある真実を求めモデルの内面を描くようになった。「私は肖像画を描く時外面的宗教的な名声や世的な名声社会的階級は気にしない。肖像画において衝撃を与えるのは、顔の表現の仕方か身振りから直感的に得ようとした描く人物についての真実である。」1909年から10年にかけて多くの肖像画、形や色の誇張や原始的な絵や戯画的な要素を組み合わせ様々な肖像画をを描いた。こうして表現主義の、誇張された像、不自然な色を使い見る人の感情に語りかける肖像画が生まれた。

 ヘレン シェルフベックは1862年フィンランドの首都ヘルシンキに生まれた。3歳のとき階段から落ちて、歩行ができなくなる。一才年下のムンクとともに、ノルウエーの美術学校で学び、1888年イギリスに住んでいたとき、病気から回復した春の日に小枝で遊んでいる、心と体の回復の瞬間をみずみずしい表情として描いた「快復期の子」は自身の精神の復活の絵だった。

1914年「黒い背景の自画像」を描く。この自画像の若々しい姿から1921年の「未完成の自画像」では劇的に変化し、「私の肖像画」は、「死んだような表情になるでしょう。このようにして画家というのは魂を暴くのね。」と手紙に記しているように自らの心の内を肖像画とした。1939年フィンランドの対ソ連戦争の時、「黒い口の自画像」を描いた。1945年晩年にスエーデンに逃れ「最後の自画像」を書き上げた。表情に表れた精神の様子を表現した肖像画で、その描く人の真実を絵として製作した。


 本物の猿の顔の写真をを見せてから、猿の漫画顔の形の丸、眼、まゆ、口、鼻、これらをいろいろ変形させて、どれを顔と認識するかを調べた。それらを認識するのにはまず顔の楕円形の輪郭の中に、眼や鼻、口が入っていない限り、顔と認めなかった、猿の顔全体には反応するが、眼や鼻だけには反応しなかった。さらに、目が漫画ののように可愛らしく大きくなると顔神経群の細胞が劇的に反応する。やはり漫画のミッキーマウスの大きな目の顔は猿にも好まれる。

 人は進化の過程で、人の顔に反応するようになり、誇張された顔に対して情動的に強く反応している。そして大きな眼や虹彩に特異的に反応する。これらの顔を見る神経群はは、情動や気分の調整に関わる扁桃体とつながっている。そして絵は顔の表情を、強調し、顔で心のイメージを伝える。

 日本の肖像画は武士や僧侶などの尊敬される人物を描くことが多く、簡素な背景に精神性を表す、穏やかな顔の肖像画が多く描かれてきた。江戸時代に、町人文化の華やかな時代、現世謳歌の時代、1794年(寛政6年)写楽の役者絵が登場した。顔の輪郭と眉、眼、鼻、口、それぞれの役者の顔かたちを誇張し、その人物の感情や、劇中の役柄とその性格まで描き出している。

 

 東洲斎写楽はまるで実験のように、顔の形、眉、眼、鼻、口それらをほんの少し変え、それによって表情は変わり、憂いを含む顔、優しい顔、怒った顔になり、そして穏やかな性格や豪快な性格になる様を歌舞伎役者の肖像画で描きだした。



写楽の一筆が、脳に起こす反応は絶大である。

2024/07/03

絵を見る脳 モネとクリムト

 




 印象派は古典派の絵のように物語を表現するのではなく、色彩によって情動を伝えようとした。印象派以前の絵画は、絵の背後にある宗教的あるいは神話の世界の風景や衣服や人物を通して、描かれた世界を理解していくことが重要であった。画家はいかにして立体的に、正確に、カメラのように絵画で再現するかが求められた。印象派は、この立体的な三次元の絵、キリスト教の真実の物語、神話を描く絵画を否定して誕生した。


 モネは自然の中の色彩とその配列と光の太陽光のもとに自然のきらめく様子、時間の経過とともに変化していく自然を描き出そうとした。1874年当時の主流の王立美術アカデミーに対抗して第一回印象派展に 印象 日の出を出品。そこには造形された構造はなく、外光による色の移り変わりをキャンパスに描いた。 第2回印象派展で、背景にうちわ、美しい赤の着物と日本的絵柄のモネの作品 ラ ジャポネーズが最も人気を呼んだ。


 この印象派展はルノアール、ドガ、ピサロなどの現在有名な画家が参加して1886年まで続いた。その後、この新しい手法は世界中の絵画に影響を与えた。アメリカ人画家ジョン シンガー サージェントはやはり印象派の作品カーネーション リリー リリー ローズと言う花が乱れて咲く夏の宵、少女2人がちょうちんをつるす風景を描いている。このちょうちんは日本の提灯で当時のジャポニズムの作品の一つである。


 絵や詩を見ることは感情をともなった作業である。風景や人物の絵を見てその色と形にボトムアップの脳内物質が放出され感情が生まれ、記憶と照らし合わせその絵を理解し評価する。絵画を観てボトムアップのシステムで見る人は最初に反応する。その後に前脳の働きで分析し解釈しようとする。印象派はこの最初の印象、ボトムアップを重視する。

 モネはルーアン大聖堂、積み藁、睡蓮、などで同じ場所を、絶えず変化する光の中で何度も描いた。一般に脳は色彩を見て赤色は、陽光の下での赤いネクタイが、日陰の暗いところでもやはり赤く見えるように脳の中で調整する。こうして色の恒常性は保たれる。モネはこの調整の仕組みにより生まれた画像を凌駕して、見たときの感覚そのままに描く努力を重ねた。

 印象派の色を使った情動の表現は、チューブ入りの絵の具により、戸外で絵を描くことができるようになったことで実現した。色や表情など情動の知覚が最初に、脳で処理され、そのあとに形態に関する情報の処理がなされている。印象派は明暗は強調せず、柔らかい線やぼんやりした輪郭を描いて、色彩に集中して見る人を引き付けるようにした。




 クリムトは1862年金細工の彫刻師の息子としてウィーンに生まれる。ウィーン美術工芸学校に建築装飾家として入学し、最初は建築の装飾を描いた。

 1894年32歳の時ウイーン大学の講堂の天井画を依頼される。モダニズムの始まりウイーン1900年と呼ばれる時代があった。当時ウイーンはハプスブルグ帝国、オーストリア ハンガリー帝国の首都として芸術文化の中心となり多くの建造物が次々と建てられた。1902年、ベートーベンを称える総合芸術建築、音楽、彫刻、絵画を組み合わせた新たな分離派ミュージアムが建てられ、その建物の部屋の壁にクリムトは絵を描いた。クリムトは当時この作品に対しての思いを、「幸福と愛を求めて苦悩する人類は、芸術が一つに統合されたときに最高の至福を得られる。」と語っている。 


 北欧のノルウエーで生まれたムンクは、1893年生命のフリーズの中の作品「叫び」を発表、不定形の形と色彩を使って無意識の世界、意識下の感情、心の奥の不安や恐怖を画面に表現した。クリムトもまた、ウイーン分離派を作り、無意識の不安や本能的衝動を表現するため、描写は平坦で、抽象的な装飾性を取り入れた作品を制作した。1907年に代表作The Kissを制作し、同じ年、肖像画アデーレ ブロッフォ バウワーを発表した。その表情の美しさ、斬新で複雑な模様は、新たな絵画、モダニズムの始まりであった。その後もダナエ、罌粟(ケシ)の野など次々と新たな作品を描き、1911年、画面左に孤独な死を右には命と愛を表す多くの人を、「死と生」を発表し、ヨーロッパ中で多くの芸術家に支持された。その3年後にサラエボ事件が勃発し、第一次大戦が始まり、オーストリア ハンガリー帝国は解体された。


ゴッホからムンク、クリムトにつながる画家は人々の意識的、無意識的な情動を引き起こす作品を生み出した。まず絵を見て色彩を最初に感じ、表情や姿、形が情動物質に働きかけ、意識的、無意識的な感情となり、やがてそれを脳が理解しようとする。

 フロイトは無意識の世界を発見し、そしてそれに操られる情動は精神生活をゆたかにするだけでなく、情動と理性は分かち難く結びついていて、合理的行動に影響を与える。意識の下に埋もれている情動は形を変えて表面化する、そしてその情動の奥にはエロスとタナトス(死への欲動)が潜んでいる。その発見は、絵画の世界に絶大な影響を与えた。

 クリムトは人間の心の奥にある生と死、エロスとタナトスの世界を絵として二次元の世界に描き出そうとした。アデーレを見て、肯定的情動だけでなく、鑑賞する人の脳内にドーパミンが出てニューロンを活性化させ、審美的依存症に似た感情が起こる。そして再びその絵を見たい気持ちが沸き起こる。ココシュカは語った。我々は皆フロイト主義者でありモダニストである。我々はみな、表面に現れたものの下の奥深くにあるものを理解したいと望んでいる。そして絵画を通して、美と醜の下の真実を描いた。


 この色彩による情動の表現の進化は、マチスなどのフォービズム、野獣派の画家のデフォルメした形態に色彩を配置した絵につながり、色彩ではなく形態を変容させたのはセザンヌであった。彼は自然の形態は立方体と円すいと球によって成り立っているとした。これが自然をいかに見るかのカギになるとして、風景画をこの三者で再構築した。この考えをさらに進め、ピカソやブラックは自然は立方体の連なりであるとしてキュビズムを作り出した。それはガンジンスキーやモンドリアンの抽象絵画につながる。


 脳の中では、自然を描いた印象派の絵を見るときと抽象的な絵を見るとき、脳で活性化される部分が異なり、脳内では違う経路で絵を見て理解しようとしている。宗教画と風景画、抽象画は絵を見た鑑賞者の頭の中では、それぞれ異なる神経経路を通って、異なる脳の部分が活性化され、異なる情動が引き起こされる。さらに、 シュールレアリズムのキリコやダリの絵画は、自然界の見慣れた風景や過去の規範的構図に反応する脳とは異なる、普通でない要素に反応する大脳の前頭葉が活性化される。

2024/06/23

脳は美をどのように感じるのか

1950年代にジョン リリー は人間の感覚が、外からの刺激の全くない状態でどのようになるのか、意識は外の刺激から生まれるのか、あるいは内部にあるのかを知るための実験をした。このアイソレーション タンクの実験で、時間とともに意識は変容し、幻覚や夢が現れ、時空の組み立て方が変化してきた。


 昔から、切断された手や足がまるで存在してそこに痛みを感じるファントム ペインが知られている。痛みもまた痛覚刺激が脳に達して痛みを感じるだけの単純な刺激と反応だけではなく、痛みという情動をともなった概念として脳の中で生み出される。


 痛みは皮膚や筋肉が傷つけられると皮膚は刺激が加わるとニューロンを伝って脊髄に入り、つぎのニューロンが視床にパルスを伝えさらに次のニューロンを介して大脳皮質に達して痛みを感じる。それに対して痛みを少なくする抑制システムがある。草原でライオンに襲われかまれ重症をおった人たちがその時痛みを軽く感じる程度であると話している。 これは痛みに対して脳や脊髄でオピオイド 麻薬様物質が放出され痛みを抑制するシステムが働くためである。その後、しばらくしてから脳がその状況を認識する。


 絵を前にして、まず感情が湧き上がる。美しい色の組み合わせ、心休まる風景は、ドーパミンを放出させ、穏やかな微笑み、穏やかな人々やその情景はエンドルフィンやオキシトシンバゾプレッシンに働き、恐怖を感じる画像や残虐な絵を見た時ノルアドレナリンが分泌される。宗教的静いつな情景はセロトニンを放出させる。 その後、脳の認知中枢からトップダウンで送られてくる信号と照らし合わせてその意味を見つける。トップダウンの処理は、情報の分類や意味付けに関わる大脳皮質と脳の別の部分の貯蔵されている記憶によって、脳の中でその絵を解釈し創造する。


 絵がもたらす視覚の情報は変わらなくても我々の情報の解釈が変わることは、エッシャーやルビンの壺など、だまし絵を見ていると、同じ絵が、あるとき壺と見えていたものが反転して人の横顔となって見えることで経験する。見ることは、現実にあった幻想をつくることである。視覚も痛みと同じように目で見て網膜がそれを感じてニューロンを伝って脳の視覚野にとどく。それに対して扁桃体や線条体で情動が生まれ、大脳の前頭前皮質が働いて、それを分析し、分類して、知覚する作業が行われている。 


 

 側頭葉の奥深くにある扁桃体は、いろいろな知覚の刺激が大脳に届く前に、チェックする役割がある。扁桃体へ感覚のデータが送られ、それを無意識に処理され、扁桃体がこの刺激を視床下部に送り、そこで身体の生理的反応、動悸などが起きる。人の体に危険が迫ると、この扁桃体が最初に働いて、漠然とした非常に不快な感情、不安感が起き、危険を回避する。その後、第2の回路を使って、目で見たり、耳で聞いたりする情報が脳の視覚野や聴覚野という部位に到達する。

 扁桃体は、大脳皮質の視覚や聴覚、触覚の感覚を感じる神経と結びつき、視床下部などの自律神経とも結びつき、さらに認識する大脳の前頭葉にも結ついている。扁桃体は、情動の働く脳のほとんどの領域とつながっている。ものを見て、感じる単なる知覚を、脳の中で情動的感じるように変換する。それに扁桃体が中心的役割を果たす。

 

 猿やマウスの扁桃体に障害が起きるとヘビや恐ろしい動物を危険と感じなくなり、身の回りの予想外の出来事に対応できなくなってしまう。人間でも先天的に扁桃体の機能障害を起こす稀な遺伝的病気のウルバッハ ビーテ病の人は他人の顔の表情から、怒りや恐怖を読みとることができなくなる。


 情動刺激は、肯定的で報われるか、否定的で罰せられるか、その中間かである。肯定的な情動は幸福感や快楽を生み出し、その刺激を求めるようになる。反対に否定的情動は喪失感や恐れの感情を生み出し、これから逃れようとする。扁桃体は刺激に反応する情動を評価する中心になる。扁桃体、海馬とともに大脳皮質の下にある線条体は近ずくべきか、避けるべきかの行動を起こす時に最初に働く。そして、そのあとに前頭前皮質が知覚と経験を整理して、情動と行動を統合する。

 まず刺激に対してはボトムアップの反応が起こる。刺激に対して報酬系のドーパミン、エンドルフィンシステムが働き、オキシトシン バゾプレッシン系も働き始める。そして注意を向けたり、新しいことを始めるためのノルアドレナリンが働き、安心や幸福感をもたらすセロトニン作動系が働き出す。これらは扁桃体につながり、情動は生まれる。見ることによる単なる知覚を、扁桃体で情動として感じることに変換される。

 そして、肯定的や否定的な知覚や情動をコントロールするシステム働きはじめ、大脳皮質の高次領域でそれが行われる。この脳の部位前頭葉で、絵をみて触発される海馬の中に記憶された情景、過去の感情と比較し評価する。情動だけでなく思考も前頭前皮質の高次領域が認知し、トップダウンでコントロールしている。


  


 絵画や詩は作者の感情を形にしたもので、多くの意味を込めている。芸術家は自然を観察し自然を感じとって、絵や言葉によって、感情と美意識を表現する。その鑑賞者もまた絵を見て、詩を読んで、快楽を感じ、脳内でそれに触発された創造物を生み出す。

 ヨーロッパの絵画は宗教画や神話や物語を絵にし、いかに立体的に正確に描くかが重要であった。それが、19世紀になり印象派の絵画になり自然の一瞬を捉え、その感情を形にしたもの、キャンパスの色彩や形が物語性や立体的構図より重要になった。20世紀絵画は、さらにそれを進め、クリムトの表現主義やピカソのキュービズムや抽象絵画を生み出した。現在それらの芸術が、脳の機能によりどのように生み出され、どのように鑑賞者の情動に働きかけるのか、そのメカニズムが次第に明らかになりつつある