1920年代個人主義的自由主義が世界の現実に対応できなくなって、民主主義が衰退し、ポピュリズム、大衆迎合主義が台頭した。1920年代は世界中で都市化、大衆化が進み、ソ連の共産主義やイタリアの国家社会主義が政権を担った。 結局、民主主義の破綻は偶然ではなく、自由主義が時代の要求に応えられなくなった必然的結果である。
歴史とは何か E.H.カー
自由主義と民主主義が戦後の秩序を作り上げた。第一次対戦後、連合国側は民主主義と民族独立の戦いと宣伝し、その戦争でロシア帝国とドイツ帝国、オーストリアハンガリー帝国、オスマン帝国は本当に滅びてしまった。オーストリハンガリー帝国は崩壊しオーストリア共和国、ハンガリー共和国、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ポーランドに分かれ、ハンガリーは自国領土の3分の2と人口の5分の2を失った。ドイツやトルコは共和国となり、ロシアはソ連になった。
戦勝国のフランスでは、セーヌ河左岸のモンパルナスに芸術家たちが集まり、芸術家村を作り、カッフェ、キャバレー、劇場やジャズクラブが夜も昼も賑わいピカソやエコールド パリのモジリアーニ、藤田嗣治、シャガールなどが活躍した。
1918年第一次大戦の年に、レオナール フジタは油画による墨絵 でパリの風景画や少女の油絵を出品した。1920年にサロンに多くの伝説を残した画家モジリア二が35歳の若さで死亡。その後フジタは夜のモンパルナスの寵児になり、日本画のような乳白色の裸婦像でサロンで高い評価を得た。
そしてアメリカの小説家、ヘミングウエーやフィッツジェラルドも住んでいた。1926年ポアンカレが政権を担い、文化芸術の黄金時代を迎え、狂騒の20年代と言われた。
第一次世界大戦の後の世界に対してアメリカ大統領ウィルソンは新しい解放された国際体制を求めて国際連合を創設、民族自決の世界秩序を打ち出した。その国際連盟にアメリカは参加しなかったもののアメリカが世界の中心になった。経済は発展し、大衆文化は花咲き、ラジオ放送が始まり、映画は人気を呼び、音楽はジャズが大流行し、ジャズエイジと呼ばれフラッパーが登場し。株価は毎日のように上昇を続け、人々は皆豊かになった。
イギリスでは1916年から1922年ロイドジョージや1929年から35年ラムゼイ マクドナルドが融和的な政策を進めていた。チャーチルは当時時代遅れの戦争屋と呼ばれ、政権からは遠ざかっていた。
そして、ロシア革命でロシア帝国は滅び、ケレンスキー内閣ができた。それを武力で転覆して、1917年トロッキーのボルシェビキ共産党独裁政権が誕生した。
ドイツ帝国は共和国となりグスタフ シュトレーゼマンが左右の勢力を抑え共産主義を抑え、ヒットラーのミュンヘン一揆を鎮圧し、ワイマール共和国を守った。100日内閣で政権を降りたのちも外務大臣として活躍した。
イタリアでは第一次大戦は勝利なき勝利と呼ばれ、立憲君主制のもと政権交代が頻発し、政党政治への信頼は弱かった。かつてムッソリーニは社会党員であったものが、1919年ファシスト運動を開始し、強い国家、反社会主義を唱え、国民の支持を集め始める。やがてファシスト党がローマに進軍して、ムッソリーニが権力を掌握した
その後、ドイツでもワイマール共和国は危機に陥る。中道の穏健な政党は過激な政党に取って代わられることによって政治の中道は崩壊していった。ナチスは少数の不寛容な人びとだけでなく、大多数の寛容な人々にも支えられる。寛容な人々もヒットラーの煽動する偏見を表面では抑制しつつ、心中では共感を示した。1933年ヒットラーのナチス政権が生まれ国家社会主義の時代になる。
日本でも、1920年初頭は普通選挙のもとに護憲3派が政権を担い大正デモクラシーの時代を迎えた。その後、政党政治は財閥と結びついた金権政治と権益を求めた党派の間の足の引っ張り合いなどに明け暮れ、国民の信頼を失っていった。さらに関東大震災が起き、昭和恐慌の経済混乱による、国民生活の貧窮に政党は対応できなくなり、軍や国家主義の思想が国を救うという方向に国民も向かっていった。1930年桜会が結成された。「ただいたずらに政権、物資の私欲にのみ没頭し、上は聖明を蔽い、下は国民をあざむき、滔々たる政局の腐敗は今やその頂点に達せり。」と趣意書で政党政治を批判し、軍が日本の改革に乗り出した。
政党は変化した時代の国民の期待に答えることができず、扇動により国を動かそうとした人々に捕食されてしまった。