2026/01/25

西欧文明への懐疑 ゴーギャン

  



 人は外の世界を見て、それを脳内で組み立て、感情や記憶を使って物語として組み立てる。絵画はその絵をみた人が、色彩と形態から感情と記憶を呼び起こし、それを頭の中で組み立て直し、解釈して理解する。音楽もまた、その旋律がエピソード記憶に働きかけ情景を思い浮かべさせ、感情を引き起こす。

科学者は、自然を理解するため、自然のなかに意味のあるパターンを求め、それを理解するのに役立つパターンを求めて公式を作る。芸術も科学も、結局人間の想像力、脳のパターン認識の産物であることに変わりはない。そのため時代によってそのパラダイムは変化する。


 ルネッサンス以来、西欧絵画は、奥行きを表すために、二次元のキャンパスに光と影、色調を使って透視図法で視覚を通して、三次元空間を描き出す技法を開発してきた。西欧絵画は15世紀の初めから、19世紀の末まで、人物や自然の世界を3次元に広がる空間の中にある、区別でき、はっきりとした形として描いた。

 印象派から、やがて後期印象派に移る頃、この3次元の絵画から、平面的な2次元への回帰が起こった。19世紀まで絵画は2次元のキャンパスに3次元の情景を描き、この視覚情報から感情を引き起こし記憶をたどり物語を生み出すことで成り立っていた。


 19世紀の後半になり、そうではない新しい絵画が登場してきた。印象派は、一瞬を切り取って、キャンパスに描く視覚の絵画であった。やがてそれから決別し、平面的で、円形、三角形など単純化して描く絵画、見たものそれぞれの要素に還元してキャンパス上で再構築して描く手法をセザンヌは試みた。

 現実を描写するのではなく平面的で装飾的な色の組み合わせで内面の精神世界をも表現しようとする試みはウイーンのクリムトも始めた。クリムトは、人の心には意識しない無意識の世界があるというフロイトの理論を絵として表現した画家であった

 ゴーギャンもまた正確な3次元世界の模写ではなく、視覚の生み出す表象、光と色と形態がもたらす感情をキャンパス上に描いた。単純化した平面的な形態と色彩を使って、鮮烈な色彩と形の組み合わせのもたらす感情と記憶、それらが心の奥の無意識の世界、神や悪霊を生み出すたましいを呼び起こす。そんな絵画を試みた。西欧文明を脱出し、キリスト教文明に影響されない、原初の人々の生活、彼らの神話の世界を絵画で表現した。言葉で神話をつくるように、絵画で神話の世界を描き、原初の自然と一体化した人々の生きる世界で暮らし、人間の根源に迫る絵を生み出した。


  ゴーギャンは、当時の資本主義化された社会、ブルジョアの支配する社会、キリストの支配するフランス社会に、反発と嫌悪感を募らせていた。 1889年の黄色のキリスト像は、近代社会に磔にされるゴーギャン自身と、信仰を失った周囲の人々を、フランスのブルターニュ地方の畑ののなかに象徴として表現した。発表当時はまったく評価されなかった。その表現の拙さ、キリスト像の黄色の非現実性、平面的描写は当時の絵画の常識から外れていた。50年後、フォービズムやキュービズムや抽象画が絵画の世界で認められ、これらの先駆的な絵としての評価されたるようになった。


 ゴーギャンはタヒチ島に移住し、近代化されていない原始的と見られるポリネシアの人々の神話と、生活の中に生命の意味を見出した。一度めのタヒチ滞在1891年6月から1893年6月までタヒチで暮らし50点の絵画を創作した。そこにはタヒチの自然、精霊、信仰の世界があった。それを原色を使い、その強烈な色彩で、空間を構成し、平面上の2次元の空間に転生輪廻する時間を描いた。ゴーギャンは画家の目指すものとして、燃え立ってはいるが、やわらかな、静かな空気を表現し、魔術的な和音が、魂の最も深い部分に響いてくるように描いたと述べ、そして絵は線と色彩の組み合わせによる音楽であり、生活や自然から借りた主題は本質ではないと語っている。 これらの作品を1893年にパリの展覧会で発表した。ドガやマラルメには評価されたものの一般の人の評価は低かった。


 象徴派の詩人シャルル モリスとともに「ノア ノア」を描いて1897年その抜粋を雑誌に発表した。テウラと結婚し、小泉八雲がせつから聞いた日本の民話をもとに小説を書いたように、テウラの語るマオリの神話を聞いて絵画や木版画を制作した。大地は終わり、人間は死ぬであろう、そして再び生まれることはないだろう、しかし月は決して終わらないであろう。こうして「テポ 夜」や「宇宙は創られた」「神」「悪霊の光」「彼女は亡霊に想いを馳せる、または亡霊は彼女に思いを馳せる」などの木版画を制作した。




「死霊はみている」の絵では、「ドアを開けると、ランプは消え、部屋は真っ暗だった。ふいに危惧と不信の気持ちに襲われた。確かに鳥は飛んでいってしまったのだ。素早くマッチをすると私の目に入ったのは、   じっとして、裸のまま、ベッドにうつぶし、恐怖のあまりに目を法外に大きく見開いて、手裏は私を見つめ、しかも私だとわからないでいるようだだった。」と精霊(トウパパウ)への恐怖を絵にした。

 人は生まれつき、死や不安に直面した時、目に見えない霊や神の仕業と解釈する。マオリの世界ではトウパパウが現れると信じる。一人暗闇に残されたテウラはその時悪霊をみじかに感じた。女たちは普通に横たわり子どもは遊び老女は沈黙している。そして背景に神像や精霊が立つ。神は人間のすぐそばに佇む存在として描かれる。


 我々はどこから来たのかでは、「我々はどこからきたのか」右に赤ん坊としゃがんだ女性、中央には「我々は何者か」成熟した女性がリンゴを摘む姿を、左に「我々はどこに行くのか」老女と死の象徴という構図で、時間の流れを一枚の画面の中に描いた。ゴーギャンの死後約10年、ヨーロッパは第一次次世界大戦に突き進み西欧資本主義、キリスト教文明は崩壊する。

2026/01/01

感情、時間と空間の誕生

 




 神経調節物質は、人間が出現するはるか以前に進化していた。神経調節物質と感情のつながりは、線虫やミミズにも認められる。極小の神経系を持つ線虫。このシンプルな脳にもドーパミンとセロトニンの初期の機能が認められる。

 線虫のドーパミンニューロンは頭から小さな突起を伸ばし、その中に餌を感知するためだけに設計されたレセプターがある。これらのニューロンは餌を見つけると、その脳内にドーパミンを流し込む。それが数分続き、ドーパミンがふたたび低下して、線虫が逃走状態になるまで数分間続く。線虫のセロトニンニューロンには、喉に食べ物があることを感知するレセプターがあり、十分なセロトニンが放出されると、満足の状態が誘発される。 この原初の線虫の脳内の、ドーパミンとセロトニンの機能はミミズ、魚、ラット、人間に共通に認められ、感情的状態を起こす物質である。


 やがてこれらは進化して、ドーパミンは快楽そのもののシグナルではなく、人にとってはあるいは動物にとって、将来快楽が得られるだろうという予兆のシグナルになる。初期の生物のドーパミンが近くに良いものがあることの伝達シグナルから、脊椎動物に進化する過程で、物事がどれだけ良くなりそうかを予想し、その行動に駆り立てる感情を引き起こす。動物が報酬に近づくにつれて、ドーパミンの量は増加し、報酬が手に入ると予想された時にピークに達する。一方、セロトニンは報酬の追求を抑制する、満足を引き起こす。安堵と失望の感情はここから生まれる。


 パーキンソン病は、典型的な症状として運動を開始しにくい症状がある。この症状は、行動を起こすか、起こさないかを決める大脳基底核が障害され、行動が開始しにくくなる。

 脊椎動物の脳では、ドーパミンの放出はまず視床下部によってコントロールされる。寒い暑いを感知して、体が震えたり汗をかいたりする、そしてカロリーが必要なとき空腹を感じる。外的な刺激に反射的に反応する。視床下部は感情的反応と関連した体の機能を自動的に調整する。この視床下部がドーパミンニューロンに繋がっていて、感情の執行機関となる。

 視床下部が幸せだと、大脳基底核はドーパミンで溢れ、視床下部が機嫌が悪いと、大脳基底核のドーパミンが欠乏してしまう。この大脳基底核にはドーパミンからの刺激を受け取るレセプターがある。そしてドーパミンの放出が多くなるような行動を起こさせる。そして、ドーパミンの少なくなる行動は抑制される 。


 動物による薬物依存の研究がおこなわれている。サル、ラット、ハエなどそれらの動物は薬物に容易に依存するようになる。報酬とは接近行動を起こし、注意を向け、エネルギーをを注ぐ対象や出来事で、その行動はドーパミンによって引き起こされる。薬物によって脳内のドーパミンの量は持続的に増加し、高揚した気分を起こさせる。やがて薬物によっってドーパミンがシナプスから取り除かれなくなり、報酬系は薬物に乗っ取られ、依存症が出来上がる。


 敵に遭遇したときに闘争逃走反応を引き起こすのがノルエピネフリン、オクトバシン、アドレナリンでこれらが分泌され、心拍数を増加させ、血管を収縮させ、瞳孔を開き、睡眠、生殖、消化を抑制する。筋肉にエネルギーの消費を集中し、危機に対応するそのために様々な活動を停止する、細胞の成長を停止し、消化をやめ、生殖活動や免疫系も抑制される。これが急性のストレス反応である。

 しばらくしてこれに対抗して、このストレス反応を回復させる物質、オピオイド(麻薬物質)が分泌され回復に向かう。免疫反応、食欲、消化機能をもとに戻す。そして負の情動ニューロンを抑制し、痛みを抑制する。オピオイドは快楽を増やし、痛みを抑制する。


  5億年前のカンブリア紀の水中には、太い海藻に似た植物、珊瑚、そして脊椎動物の祖先それらと巨大な節足動物「アノマロカリス」砂の中で捕食の機会をうかがっていた。その捕食を逃れる能力を初期の脊椎動物は獲得した。この時期カンブリア爆発と呼ばれる、進化の加速が起こり動物は多様化した。


 このカンブリア紀の生存競争に生き残るために、脳を持つ動物が現れ進化した。単純な線虫などの左右対称の動物から、魚のような脊椎動物に進化した。これらの初期の脊椎動物の脳では、多くの新しい脳の構造を備えていた。 それは一個のニューロンが特定のものに対応するのではなく、ニューロンのパターンを脳が解読することができるようになった。そして捕食者の匂いを覚え、捕食者の姿を捉え、すばやく逃げることができた。こうして初期の脊椎動物は原始の海を生き延びることができた。


 3億8000年前、節足動物に遅れて脊椎動物の一部が陸に上がった。5感による情報を集めて中枢神経によって情報を処理する仕組みは年月と共に進化していった。自然界の様々な刺激、雑音を脳でまとまりに分解してそれを時間と空間の中に配置する必要がある。この世界を脳がどのように捉えるかが問題となる。

 蛙の脳は世界は明滅する影とあかりの世界で、それによってハエを捕え、鳥から逃げる。爬虫類は陸上生活に様々な形で適応した。初期の爬虫類の視覚は、哺乳類と異なり、視覚の情報は主に目の網膜でなされ、小さい脳は情報処理にはあまり役には立たず、蛙の視覚によく似たものと想像される。脊椎動物はその後、体は様々に進化したものの、脳の発達は何億年も停滞した。今生きているの魚類と爬虫類の脳はほとんど同じであった。一方、哺乳類は昼間の捕食者の支配する世界を避けて夜間に活動するために新皮質ができ、聴覚や臭覚を長距離感覚として進化させていった。聴覚は空間ではなく、時間的な幅を持った情報を扱い、それを脳が解釈する、すなわち空間の地図と同じように時間を扱う必要が生まれた。こうしてバラバラの刺激のまとまりのないパターンから時間と空間の中にある物体という知覚が生まれた。


 哺乳類や鳥類そしてタコなど、多くの動物で人間のような言語は持たないが、知的な活動ができる。それは強力な世界モデルを学習する能力であり、それによって自分の行動の結果を予測し、目標を達成するための行動を探索し、計画する。

 大脳皮質は感覚を通して世界を認識する。そしてそれを時間と空間の中で再構築する。そして想像して、予想する。新皮質は外界の内的なモデル、世界モデルを創り出す、周りの現実世界から切り離された、そこにはないものを想像する、想像力、すなわち未来の可能性を描き出し、過去の出来事を生き返らせる能力が生まれた。


人類は長い年月をかけて進化を遂げた脳のおかげで、我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのかに関心の持つ唯一の生物になった。

2025/12/14

イカロス症候群

  

 ゲーテはイタリア紀行の中で、ローマのカーニバルを描いている。ローマの「街全体がひとつの大きな劇場である。観客と演者は絶えずその役を取り替える。女性も男装し、二つの仮面を前後につける人がいる。どちらが前面でどちらが背面なのか。人物が前進しているのか、後退しているのか、見分けがつかない。」

 「ローマ人は自らの生活全体を祝祭へと変え、街路を舞台に変える術を知っている。誰もが傍若無人に振る舞うことができる。棍棒や刃物を振り回すこと以外、ほとんどの振る舞いは許される。社会的な格差は一時的に解消されたように見える。」「馬車の上から紙吹雪(砂糖菓子)が雨のように降り、通りの若者たちはそれをまた投げ返す。そしてチョークや粘土片で全身が真っ白になった男たちが次々と現れる。その中には黒服姿の司祭も例外ではない。」そして人々は束の間の、社会的秩序の一時的な逆転に陶酔する。そしてこの騒擾は潮が引くように終わりを迎える。

 「カーニバルの終わりほど胸を打つものはない。それまでの喧騒が突然、沈黙に変わるからだ。」人々を熱狂に誘うこれらの出来事は過剰なまでの、神経を興奮させる脳内物質の作用が考えられる。やがてこれらの物質の消失とともに、精神の中に、燃え尽きる精神の疲労、イカロス症候群が訪れる。



 三島由紀夫は「太陽と鉄」の中で神輿について、「幼時、私は神輿の担ぎ手たちが、酩酊のうちに、いうにいわれぬ放恣な表情で、顔をのけぞらせ、甚だしいのは担ぎ棒に完全に頸を委ねて、神輿をねり回す姿を見て、彼らの目に映っているものが何だろうかという謎に、深く心を惑わされたことがある。」

「神輿のわっしょいのリズムに身をゆだねると、身体が共同の波にのまれた。暴れみこしには、神と肉体の荒々しい一致がある。神輿の重さは、少年の肩に鉄の現実を教えた。」

ここでもまたドーパミンによる快とセロトニンによる心の安定化と、共同体との一体感が生まれる。

 さら自衛隊のF104に乗ったときの高揚感を「F104は離陸した。機首は上がった。さらに上がった。思う間に手近な雲を貫いていた。一万5千フィート、二万フィート。高度計と速度計の針が小さな高麗鼠のように回っている。準音速のマッハ0.9。ついにGがやってきた。が、それは優しいGだったから、苦痛でなくて、快楽だった。」「私の視界はやや灰色の青空に占められていた。それは青空の一角をいきなり齧り、青空の塊を嚥下する感覚だ。 清澄なままに理性は保たれていた。」「雲と海と落日だけの簡素な世界は、私の内的世界の、いまだかつて見たこともない壮大な展望だった。と同時に、私の内部に起るあらゆる出来事は、もはや心理や感情の羈絆を脱して、天空に自由に描かれる大まかな文字になった。」と飛行体験の内的世界を表現している。そして最後の章にイカロスの詩を載せた。


鳥の自由はかつてねがわず


自然の安逸はかつて思わず


ただ上昇と接近への


不可解な胸苦しさにのみ駆られて来て


空の青のなかに身をひたすのが


有機的な喜びにかくも反し


優越のたのしみからもかくも遠いのに


もっと高くもっと高く


翼の蝋の眩暈と灼熱におもねったのか?


  アポロ計画で月に行った宇宙飛行士たちもまた、意識や認識の変容する体験を語っている。その一人ジム アーウインは空軍のパイロットで、F104ジェット戦闘機に乗っていた。そして、アポロ15号で、月に向かった。

 ロケットは点火され、猛烈な速度で上昇する、そのとき体は4Gの力で座席に押しつけられ、その後、地球軌道に乗る、この軌道上から眼下に地球を見る。そして、月に向かう。「地球を離れて、初めて地球を見た時、最初はバスケットボールぐらいの大きさだった。それが離れるに従い、野球のボールぐらいになり、ゴルフボールくらいになり、ついにはマーブルの大きさになってしまった。そして、宇宙から地球を見ることを通して神の存在を確信し、月面に降り立ち神の啓示を体験した。神に祈った時に、いくら祈っても、神は無言だ。しかし、月では違った。祈りに神が直接的に即座に答えてくれるのだ。」と語っている。

 多くの宇宙飛行士は、この宇宙に出てから、急に頭の中が明晰そのものになり、精神機能が拡充した感じになる、そして全ての操作が素早くできるようになると言う。宇宙飛行士たちは皆宇宙体験で大きな精神的影響を受け、内面的に変わり、やがてジム アーウインはキリスト教の伝道師になる。 



 人々は祭りに熱狂し、カーニバルに熱狂する。その祭りの熱狂を遊園地に見出した。 好天に雑踏が組み合わさって、娯楽施設は人だかりで、騒然とし、人々で湧きかえっている。祭りに、マシーンが加わって、19世紀の末には遊園地が新たな祝祭の場所として登場した。

 ニューヨークのコニーアイランドには1877年のフィラデルフィア万博のために造られた鉄の塔をを払い下げ、エレべイター付きの展望台になった。1883年シカゴ博覧会で展示された回転するする車輪にゴンドラをつけた、大観覧車を払い下げ、運び込まれた。1884年にはジェットコースターが人気を集めていた。20世紀になると、ループ ザ ループと呼ばれる360度回転するループ型ジェットコースターが登場した。

 回転木馬から、次第にジェットコースターになり、360度回転するループ型コースターへと続々と新しい絶叫マシーンが取り入れられ、人々はスピードとスリルを求めて遊園地に殺到した。1920年代ニューヨークの地下鉄がコニーアイランドまでのび、アメリカの遊園地ブームはその絶頂期に達した。


 人はなぜ祭りに興奮し、カーニバルに熱狂するのか、どうして遊園地に人々は惹きつけられるのか。どうしてジェット戦闘機で操縦したり、宇宙旅行のロケットの加速で、気分が変容するのか。どうして静寂の月面に到達して崇高な気持ちになるのか。それらは、人々の脳の中の様々な物質が活性化されるからであると考えらている。この神経伝達物質は神経細胞の間の情報のやり取りを調整し、感情、意識、思考を調整する。ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニン、オキシトシン、エンドルフィンなどそれぞれの役割は次第に明らかにされつつある。



 さらに、さらに、長く、恍惚と燃える青へ。

 ひばりも、鷲でさえ至らぬ高みを、

 たやすく超えてゆき

 静かな昂った心を持って、


 人がまだ足を踏み入れたことのない高みの宇宙の聖域に入ったとき、


 私は、手をさしのべて、神の顔にさわった。


                     ジョン ギリスピー マギー


2025/11/30

平静の心 サイコパスとHSP


 感情は周囲の情報と身体の中の情報を脳がまとめてつくり出したもので、その感情をドーパミンやセロトニン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質が調節しています。


 人々は、日常生活の多くの行動は、この感情によって決め、行動している。この中には、心配な気分と不安感がある。これは人類が生き延びるために、備わったもので、心配や不安は外界の危険に体が対応するため、防衛のシステムで、心配と不安はは同じ役割を担い、不安の感情は、危険が襲うかもしれないと予測する時に起こる嫌な気分で、現実にそれが起こらなければ、消え去る。 一方、希望がかなった時の満足感や、心地よい気持ち、幸福感も起こる。しかし満腹感もすぐに消えて、次の食べ物を求めて活動を始めるのと同じようにこの感情も長くは続かず、消えていき、次の外界の危機に対応する。


 人の中には、他人の感情を読む能力が非常に発達した人がいる。その人は感じやすく、感情に影響されやすく、極端になるとHSP(ハイリー センシティブ パーソン)と呼ばれる。共感力が強く、音や光、匂いなどのささいな刺激にも敏感で、疲れやすい、そして周りのわずかな変化や雰囲気を敏感に察知し、物事を深く考え、情報を正確に処理する能力に長けていて、人口の15から20%がこの気質を持っている。

 現在日本で、メンタルの不調で、仕事のできない人が増えている。気分障害の外来患者数は2023年には156万6000人になった。多くはデプレッション(うつ病)で、診断基準として、抑うつ気分、興味、喜びの消失、体重や食欲の変化、睡眠障害、精神運動の変化、疲労感や気力の低下、罪悪感や自分を価値のないものと考える、そして死にたい気になる。思考力や集中力の低下。このうち5つ以上が2週間以上毎日つづき、日常、日常生活に支障をきたしている状態。これをみたすのが診断の基準で、時々こんな気分が2、3日起きて、決めたり考えがまとまらないことは誰にもあることで、長期にわたり気分の落ち込みがあって5項目以上当てはまるのがデプレッション(うつ病)です。毎年受診患者が増えているのは、診断基準が確定し、治療薬も安全で有効になり、また受診のハードルが低くなったためか、社会の変化やスマホによるSNSの影響などが推定されています。

 

 このバイタリティーとデプレッシブな心の状態を調節するのが、神経伝達物質で、セロトニンやノルアドレナリンそしてドーパミンなどがあります。セロトニンは、幸せホルモンとも呼ばれ、安らかな情景や宗教画を見ている時の感じ、心の緊張はこのホルモンが出ることによって、和らぎ、ゆったりした気分になります。バイタリティーが湧いて行動力のもとになるのがノルアドレナリンで、行動に移す力を与え、恐怖や危険にあった時、このホルモンが分泌され活動に移ります。そして集中力は増し、記憶力も増し、行動力も増して危機に対応し、活発な行動を促します。さらに、ドーパミンは報酬のホルモンと呼ばれ、ワクワクとした気分や生きていくための快楽を生み出すもので、生物の社会活動すべてをコントロールしています。

 

 一生懸命頑張っている人は、ドーパミンやノルアドレナリンが過剰になり、やがて過労に陥ってしまう。さらに時代のスピードが早まり刺激が多くなると、心の休まる空間が狭くなり、長期のストレスに日々さらされることになる。そしてスマホ時代となり、興味をひき、新しい刺激をあたえ続ける画面の情報は、脳内のドーパミンを活性化させる。そしてやがてSNSの魅力は魔力に取って代わられる。


 人類が繁栄し、生き伸びてきたのは、協力する能力があるからです。しかし、一部の人には、この能力が欠けていることがわかってきました。サイコパスという言葉は20世紀の始めの数十年間に流行し、広く知られるようになりました。反社会的行動はとるものの、それ以外の点では社会で、正常に機能できる人を表現するのに使われ、1941年アメリカの精神科医ハーヴェイ クレックレーが「正気の仮面」で定義し、診断のチェックリストを作った。サイコパス的な性格は、一見したところ魅力的で、社会に順応していて、知的だが、その内面はきわめて感情が乏しい。さらに衝動をコントロールする能力が著しくかけている。その結果、共感力が乏しいだけでなく、失敗から学ぶことはなく、失敗を恐れたり、罰を受けたりする可能性があっても不安に思わない。


 サイコパス的な性格は人口の1%を占め、日本では100万人はいると推定されています。サイコパス的な人は、表面的には魅力的で人を惹きつける、しかし共感性はなく、虚言癖があり、責任感とか後悔することはない。

 マイルドなサイコパスの人は、政治家となり時には権力を握ることがあり、その組織や国は悲劇に見舞われる。1970年代アフリカのウガンダで、大統領となったアミンは、典型的サイコパスの性格で、政敵を投獄し、死亡させ、国を破滅に導いた。歴史的には、ヘンリー8世やサダム フセインもサイコパスと考えられている。気分障害の改善には運動や、深呼吸の方法や、自然に溶け込む時間つくるなど過剰のコントロールは、さまざまに工夫されている。一方サイコパスは未だ明確な基準もない。


 今後、脳神経科学の進歩や認知症の研究そして、AIの進歩による知能や感情のさらなる解明が進み、新たな対応策が生まれるかもしれません。

2025/11/17

感情の時代

 


 近代合理主義では、感情は非合理的であって、理性的で知性的であるのが望ましいと考えられてきた。文明化とは、自ら感情をコントロールし、それが高まるほど文明は進歩すると考えられていた。 SNS時代になると、非合理的とされた喜び、怒りなどの感情が、発信され、人々の間に広がってきた。そして理性ではなく感情が、人々を動かし社会を動かし、政治を動かす時代がやってきた。


 現在、世界中で、今のままの生活水準が保たれ、今のままと同じ生活が送る事ができるのか、それが失われるのではないかといった不安が広がっている。こうした社会の状況に、インターネットを使ったソーシャルメディア(SNS)が日常化してきた。フエイス ブックやXやユーチューブは人々の便利で役立つコミュニケーションの手段として開発され、SNSを使って、怒りや嘆きの感情を、直接的に表現できるようになった。


 SNS時代になって、誰でも手軽に、人の手が介在することなく、個人的にひとりでも、政治的意図で事実の断片や、フェイクも使って群衆の支持を獲得することができるようになった。SNSの時代は、新聞の時代の大衆紙とクオリティーペーパーの区別や、正確さを信条とするニュース番組と視聴率を目的とするワイドショーとの区別はなく、全部がフラットであり、評価は「いいね」の数だけで決まる。正確な事実よりも、より刺激的で、 より過激な物語が多くの支持者や視聴者をうみ、それが社会を動かす道具として政治的目的で利用され始めた


 1895年にル ボンが「群集心理」を書いた。その中で、群集心理の特徴として「理性的ではなく無意識下の本能のままに動くため衝動的で、動揺しやすく、興奮しやすい。そして、暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じてしまう。

 そして 「単純さを好み、誇張的である。思想は単純でなければ、多くの人に受け入れられない。どんな高邁な思想も、群衆を動かすようになった時、全く別物に変わっている。

 さらに「群衆は、イメージによらなければ、物事を考えられないのであるし、またイメージによらなければ、心を動かされもしないのである。このイメージのみが、群衆を恐怖させたり魅惑したりして、行為の動機となる。」「これまで群衆が、真実を渇望したことはなかった。群衆は、自分らの気に入らぬ明白な事実の前では、身をかわして、むしろ誤謬でも魅力があるならば、それを崇めようとする。」


 そして群衆の精神に思想や信念を支配する方法として3つの手段によるとした。第1は断言で「およそ推理や論証を免れた無条件な断言こそ、  確実な手段となる。断言は証拠や論証を伴わない、簡潔なものであればあるほど、ますます威力を持つ。」第2に反復の効果で「ある断言が、十分反復されて、その反復によって全体の意見が一致した時には、いわゆる意見のすう勢が形作られる。そして第3に「強力な感染作用が、その間に働くのである。群衆の思想、感情、感動、信念などは、細菌のそれにもひとしい強力な感染力をそなえている。」


 民主主義が感情に動かされるのには2つの要素が重なったときに起きやすい。

一つは経済的社会的現状に不満を持つ人々の存在。もう一つは強力なコミュニケーション手段である。その時代に、人々を支配し、権力を持つことのみに魅力を持ち、それを目的とする政治家が現れると国は危機に陥る。


 1930年台のドイツは、インフレと賠償で経済は混乱し、国民は困窮していた。そして映画や新聞に加えて、新しいメディアとしてのラジオが普及してきた。そこに巧みな弁舌と社交的な性格に見える政治家が登場した。 アドルフ ヒトラーで、社交的でカリスマ性を備え、人々を惹きつける巧みな演説を行い、当時登場したラジオなどのマスメディアを巧みに利用し、人々の感情に訴え、権力を手に入れた。


 同じ時代にアメリカも大恐慌に陥り社会は混乱し、多くの人々の生活は困窮した。 しかし、当時のアメリカにはコモングットが広く人々に受け入れられ、理解され支持されていた。そして、フランクリンルーズベルトはラジオを使って国民に語りかけた。政治演説調ではなく、穏やかな口調で国民に語りかけ、銀行の危機やニューディール政策について説明し、理解を求めた。

 やがてフランクリンルーズベルトは4つの自由として言論の自由、信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由を掲げそれを世界に広げていった。そして国民のほとんどが、思いやりを持って他の人と繋がり、その仕組みを支えてきた。これが世界の戦後民主主義の基礎となった。


 世界中で富の偏在が進む中、子が親を越えられない時代になり、SNSを使って、健康問題や政治的陰謀論や、愛国主義、排外主義を取り上げ、既成の考えをする人を否定し、極端な考えをフェイクを交えて喧伝して、喝采を浴びようとする煽動者が現れた。かつての感情と政治の問題は新しいメディアによって現在世界はアフェクティーブ ターン(情動論的転回)をむかえている。


2025/10/26

南方へ


 熱帯地方のなかで、季節が零落をするのは十一月と十二月の頃おいだ。繁茂したもののあいだで、いっさいのいのちがさびれかえる。生きに生き、延びに延びてしまった葉や茎の、ちからや、感情が、もうどこへも行きどころがみつからないように、大きく、はたとゆき止まっている。                マレー蘭印紀行         金子 光晴


 オランダは1602年に東インド会社を設立し、ジャカルタを中心にして植民地化を進めた。 台湾には1624年東インド会社が台南市に拠点を築き、支配をし、布教活動や教育を進めた。明は清との戦いに敗れ日本の徳川政権に援軍を求めた。しかし徳川政権は援軍を出さず、国内政治に集中した。明は滅亡し、明の忠臣、鄭成功が台湾を支配し、オランダ軍を台湾から追放。しかし1683年には、清朝の支配下に置かれる。 やがて日本は日本は清と貿易を開始し、そしてオランダもまた長崎の出島を通して、日本との貿易をおこなっていた。

 台湾は1895年日清戦争の後下関条約で清から日本に支配権が移った。その時、清の外務大臣で全権大使の李鴻章は「台湾は化外の地」とよび、それほど重要視せず夷狄の土地に近かった。  
 日本統治下の台湾には亜熱帯の未開の地が広がっていた。高温多湿で山々が連なり、新高山で標高3951メートルで富士山より高いそれに続いて次高山があった。昆虫や植物は豊富で、中央山脈の高知には先住民の首狩族が住み、登山者は近寄ることができなかった。  台湾に行くのは、神戸港から出発し、商船三井か日本郵船の定期便に乗って、4日かかって台北に着く、ここに1926年台北帝国大学が設立される。ここを起点として南洋の領土が広がった時に備えて、農業の経営には、昆虫学や植物学が重要となることを見越して、戦前の植物学や昆虫学の中心に台北帝国大学がなった。台湾総督府となり、総督の児玉源太郎と医師出身で衛生学に詳しい後藤新平の統治により、総督府の研究機関には潤沢な資金が投じられた。 

  素木得一台北帝大の教授はロンドンから日本や東南アジア産の多くの甲虫の標本を持ち帰り台湾で昆虫学で多くの業績を上げた。日本の産業の養蚕の研究を行い、貝殻虫による街路樹の被害を天敵であるテントウによる害虫駆除で成果を上げ、農業害虫とその防除方を研究して応用昆虫学で有名になった。 

  当時、今西錦司らは南洋群島調査をおこなった。ボナぺ島、ヤップ島、パラオを研究対象としてフィールド調査を行い、植生や動物だけでなく、住民の生活も研究対象とした。これらの調査はやがて戦後の生態の棲み分け理論の基となる。 

  ボルネオやニューギニアの動物界でのウオールス線というのがある。セレベス島とボルネオ島の間の海峡それをフィリピンのミンダナオ島に向かって北に伸ばした線を生物の境界線とした。アジア大陸とオーストラリア大陸に住む動物は全く異なり、ニューギニア等の哺乳類はオーストラリアの乾燥地帯と異なり湿気が多い熱帯にもかかわらず、同じような有袋類の哺乳類が住んでいる。カンガルーは小型化して木登りカンガルーと呼ばれ、ジャングルで樹上生活をしている。これは氷河期には海面が今より低く、ユーラシア大陸はかつてボルネオ島まで陸続きで、一方オーストラリア大陸はニューギニア島とは陸続きだったことによる。 

  田中長二郎は、台湾総督府農業試験場に所属し、南洋群島の調査を行った。これはウオールス線の東側で、その地域の植物の分布を研究し南洋群島植物誌、南洋植物調査報告を発表した。そしてこの地域におけるアジア系とオーストラリア系の中間系であることを見つけた。これは風や潮流によるココヤシやアダンの移動。さらに鳥類によって運ばれる長距離の種の移動が見られるためであった。 

  第二次世界大戦の前、アジアは列強の植民地の支配下にあった。イギリスはインドから沿岸に沿ってシンガポール マレーシアそしてボルネオ島の北側を植民地にした。マレーシアは山岳地帯でインド人マレー人中国人が住んでいた。そこはゴムの一大産地でそのプランテーションでとれたゴムは世界中に売られていた。
 一方インドネシアは当時のオランダ領東インドと呼ばれオランダの支配下にあった。このスマトラ島に1883年石油が採掘され、ロイヤルダッチシェルが開発し一大油田となっいた。 

  1939年第二次大戦勃発すると、1940年5月にドイツは、べルギーオランダ、フランスに侵攻し占領した。その結果、アジアの植民地支配の機構は消失した。アジアでドイツの占領を免れ残ったのはイギリスのみで、その撤退を恐れアメリカは南カルフォルニアから艦隊をハワイの真珠湾に移した。  
 1930年代日本の国内の石油生産量は7%で後は全て国外から輸入していた。80%がアメリカ、10%はオランダ領東インド諸島であった。
 1940年日本は中国大陸に加えて南方へ進出、フランスのビシー政権にフランス領インドシナへの日本軍駐を認めさせた。そしてアメリカからの石油輸入を急速に増やし軍事用に使った。石油の対日禁輸に備え石油と掘削装置や組み立て式の貯蔵タンクを大量に購入した。  
 ヨーロッパで戦争が始まると、それがアジアにも波及し、ドイツ イタリアと同盟を結んだ日本に対して、アメリカは次第に石油や鉱物の日本への輸出を制限し始めた。 海軍は資源確保のため南方に進出す作戦を立て、オランダ領東インド諸島、マレー、インドネシア、南洋の島々に注目していた。1941年12月真珠湾攻撃と同時に、南方へも軍を進め、シンガポールを陥落させ、インドネシアの油田を支配下に置いた。 

  南方と呼ばれる東南アジアの地域は南洋の動物や植物研究の宝庫から、資源争奪の戦場になり、戦後独立した国々は経済的に発展し、今は貿易をめぐる綱引きの場になっている。

2025/09/28

高齢化する世界と人型ロボット その2


人型ロボット


 関西万博で、「いのちの未来はロボット工学者の石黒 浩 大阪大学教授のプロデュースしたのアンドロイドの館で、その中で50年後、2075年の家族のストーリーが展開される。まず最初のコーナーで日本のヒト型造形物の歴史が展示される。縄文時代に作られた土偶、弥生時代の埴輪、鎌倉時代の仏像、やがて江戸時代になると人形浄瑠璃の人形やからくり人形、時代時代に人型の造形物が作られた。その後の世界ではAndroidと共生する社会、肉体に寿命が尽きても生き続ける未来が想像される。

 現代において日本が人型ロボットで先頭を走っていた。2000年頃にはソニーの犬型ロボットのアイボ、ホンダの人型ロボット アシモ、トヨタも2005年愛知万博で多くの人型ロボットを展示した。そしてその後にソフトバンクからペッパーが発売され、全国の店や介護施設で使われた。しかしその時代、AIの機能は限られたもので、すぐに飽きられてしまった。その後目標を失ったためか、それらは改良されることなく、今はアメリカ、中国あるいは韓国が技術競争の先頭を走っている。


 ここ数年のAIの進歩は急速で、様々なAIを備えた人型ロボットが開発されている。今年、テスラのCEOイーロンマスクは「テスラの価値の80%をロボットが生むようになる。」とSNSで表明した。テスラは 現在身体性AI(フィジカルAI)で人工知能を持ったロボット型の『オプティマス」を開発中で、このロボットが現実世界の人間や機械の動きをセンサーでとらえデーター化して、学習する。そして「10年後には10億のロボットと共生する時代がやってくる。」と予想して人型ロボットの生産を推し進めている。

 エヌビディアは、高度な人工知能を搭載したロボットの実現に向けて、ソフトウエア開発から半導体を提供する構想を10年前から進めていた。現在アマゾンは倉庫に、アジリティー ロボスティックの「ディジット」を取り入れ、メルセデスベンツはアプトロニックの「アポロ」を取り入れている。これらのロボットはいずれもエヌビディアのシミュレーション技術を使って高度な動作を行えるようになった。


 一方、イスラエルはガザでの戦闘で、陸上兵器の爆弾ロボットを使った。AIによる自律走行が可能で、大量の爆弾を搭載し、無人の軍事車両で、正確に標的を攻撃し、爆発させることができる。そしてハマスの拠点と見られる建物に、この爆弾ロボットを突入させている。


 AI技術はバイオテクノロジー、ロボット工学、薬の開発などの分野で急速に進歩し、医療、介護、車などの分野で有力企業になる可能性もある。一方イスラエルのように軍事的技術の進歩にもつながる。日本の企業は、この世界競争においてどの分野で優位に立つかが問われている。



高齢化日本と高齢者施設


 半導体の進化について、1965年50年前ムーアが18ヶ月で2倍半導体の性能が上がると唱え、その通りに進歩した。今でもムーアの法則として有名で、現在のAIの進化はさらに急速で、オープンAIのチャット GPTの実用化でその進歩は弾みがつき、数年後には10億倍のニューロンに相当する人工知能(  AI)になると予想されている。それを利用した介護用ロボットの開発が進めば、自らがロボットを使って自立した生活ができることが実現する可能性は高い。


 現在介護保険で使われている特定疾病は、認知症や脳梗塞や脳出血による病気など、体の司令塔である脳の障害、そして整形外科的な脚や腰、膝などの動く機能の障害、そしてがんの進行などに分けられている。そのうちの認知症などの介護は、AIの会話ロボットによる介護が有望である。認知症の認知機能は0か100かではなく、記憶が少しずつ衰え、判断力が衰え、場所がわからなくなり、そのため道に迷うようになり、財布を置き忘れ、お金が管理できない、食事が作れないなどの症状が出てくる。それでも過去の楽しい記憶や、いつもしている作業はかなり自分でできる。そんな状態の人に対応した、会話型ロボットは非常に役に立つ。認知機能低下の程度に応じて、それの適した会話の内容に対応して、会話のパートナーとなりうる。

 

 身体の活動に関わる、足腰や膝の痛みによる活動の制限は、それを支える補助ロボットが必要になる、人が支える代わりに支えることができる安全なロボットは進化するほど安全性と機能性が高まる。


 さらに施設における、炊事や洗濯掃除の作業はすでに実用化しているものがあってさらに進化する。そして案内役とか絵を描いたり、歌を歌ったり、体操したしする指導用のロボットはペッパーで一部は試みられ、これが進化すればさらに重要性を増す。日本は世界でトップの高齢化社会で、高齢者施設にロボットを導入し、楽しい施設にしていくことは高齢化日本の役割である。コストにあった、機能に優れた、人型ロボットが活躍すれば、今後の10年高齢化する世界を乗り切ることができる。

 今後、テスラと同じようにトヨタが人型ロボットのリーディング メーカーになるかも知れません。今月、政府も内閣府で人型汎用ロボットを30年までにつくる方針を発表しました。