2024/05/31

依存症と脳内物質

 


   行進の 歌声きこゆヒトラーの演説すでに はてたるころか


  一隊は ハーケンクロイツの赤旗をたてつついきぬ この川上に


                                   斎藤茂吉

  

 斉藤茂吉は、1921年(大正12年)から1925(大正14年)ドイツのミュンヘンのクレペリンの元に留学中、ヒトラーのミュンヘン一揆にあって短歌をよんだ。


 100年前、フロイトが深層心理から精神分析の方法を生み出した頃、ドイツの精神科医エミール クレペリンは精神の病気にも神経に原因があり、それは脳の機能的障害ではないという説を唱えた。当時はそれを証明する手段はなく、単なる仮説に過ぎなかった。精神障害や依存症は長らく脳卒中や脳の外傷などの神経が損傷を受けた病気とは全く別物であるとみなされてきた。


 現在ではすべての精神障害、うつ病や不安障害だけでなく依存症もまた脳の障害であることがわかってきた。それは遺伝子の研究が進み、脳内を画像で見えるイメージング技術が発達し、動物を使った実験の成果による。とりわけマウスは恐怖や不安を感じるモデル動物として使われ、人間の精神疾患の研究を促した。

 

  依存症は、薬、アルコール、タバコなどの物を対象にした場合やギャンブル、食べ過ぎ、買い物のしすぎといった行動のこともある。いずれも意志の薄弱なためではなく、脳の変容により制御不能に陥った状態である。恐ろしい記憶は忘れようとしても突然鮮明な記憶がよみがえり、不安が不安を呼び、PTSDとなるのと同じように、快楽が暴走し、脳がドーパミンを過剰に作り出し、結果として依存症を引き起こす。


 依存症は、ある報酬に対する過度の反応である依存性のある物質によってそれは活性化される。脳のある領域は、食べ物でもギャンブルによるお金でも薬物と同じように活性化される部分がある。


 肥満の人やギャンブラーは、食事やお金の興奮が手に入るときの快楽は次第に減少する。それは活動が低下し快楽に慣れてしまってからで食べ物やお金のドーパミンに反応する反応が鈍くなるためである。 そのため薬物の依存症患者が薬物の摂取で同じ快楽を得るためにますます多くの薬が必要になる。同じように、肥満の人は食べ物を食べる量はますます多くなければ満足が得られなくなるし、ギャンブラーはギャンブルにつぎ込むお金がますます高額になる。そして脳の報酬系が変化し、依存症ができあがる。


 では人々を依存症にする物質ドーパミンとは何か。すべての肯定的な感情や快楽を感じる気持ちはドーパミンによって起こる。ドーパミンは1950年代に発見され、脳の奥深いところにある腹側被蓋野と黒質のニューロンから放出される。記憶の源である海馬、感情を統合する扁桃体、さらにそれらを統制する大脳皮質に軸索は伸びている。

 このドーパミンの関与する報酬の経路は生物の進化のかなり早い時期から見られ、身の回りの快楽もたらす刺激、食べ物や水や、生殖、社会活動をコントロールしている。

 そして、このドーパミンの発火は、最初は直接的刺激で起こっていたものが学習によって、期待や予兆の時点で発火するようになる。そうして習慣化した行動が、条件ずけられて、長期記憶になる。


 これと同じように依存性のあるニコチンでも、薬でもやはりドーパミンの産生ニューロンを刺激する。そしてこの中脳辺縁系のドーパミンの濃度を増やし、強い快楽を感じる。そしてこれが記憶され、タバコの煙をかいただけでタバコを吸いたくなる。こうして依存性のある薬やタバコなどはこれらと関連のある連想が再発を引き起こす。



 依存症の研究は、PETによるコカインの依存症患者と健常者の間で行われた。依存症のない患者では、コカインを与えると脳の報酬系の領域が活発に活動した。一方依存症の患者では脳内の活動は活発化しないことがわかった。

 さらにこのドーパミン系の報酬システムは猿やラットさらにはショウジョウバエにもある。動物で薬剤を与え依存症をつくると、人間と同じように、脳の報酬系の領域は活動がおこらなくなる。さらに、ストレスが加わると薬物乱用のリスクが高まる。さらにコカインなどがいくらでも手に入る環境に置いた動物は、依存症から、過剰摂取に至り自ら死に至る。


 コカインなどの依存性のある薬物は、ドーパミンが細胞の中に永くとどまり、脳の報酬系を乗っ取る。そして慣れ、薬物に対する耐性が生まれ、同じ高揚感を得るためにもっと多くの薬が必要になる。さらに薬とその場所や人、音楽時間の記憶が関連づけられ、その連想が薬を渇望するきっかけとなる。

 

 もしお腹が空いているときに食べ物が目の前に置かれたら、それを見ているだけでドーパミンの量が増える。食べる最中ではなく、その前にドーパミンは放出され、食べる行動を起こさせせる。そして食にありついて美味しいと感じさせるのは、エンドルフィンである。進化の過程で発達してきた、この快楽系の神経回路と快楽の記憶の報酬システムは、周りの状況をはやく的確に知ることが生存競争に必要だったためで、結果にかかわらず、新しい情報を探す、知的好奇心を本能的に持つように人間を進化させた。


 新しいことを学ぶと脳はドーパミンを出し、ドーパミンのおかげでさらに知識を得たいと思うようになる。新しい場所に行ってみたい。新しい世界を見てみたい。新しい人に会ってみたいという渇望はドーパミンの作用による。不確かな世界に生きる人類が報酬が得られるかどうかわからなくても探索の旅に出かけ、獲物に出会い、食料を得て生き延びてきた。


 現在アメリカでは50歳以下のアメリカ人の死因の第一位は薬物の過剰摂取であり、日本でも向精神薬や市販の薬の過剰摂取による死は急速に増えている。そして今年有名になったアメリカの野球賭博によるギャンブル依存症や日本国内のオンラインカジノやスポーツ賭博。これらは自分の意志によるものではなく、脳内のドーパミンなどの報酬系と記憶の働きによることがわかってきた。

2024/03/20

感情はいつ生まれたのか

 感情は普通周囲の環境からもたらすされる刺激に反応して一時的に生まれる。特定の感情が続いて固定化されたものを気分と呼ぶ。個人の気分はいろいろで安定した晴れやかな性質の人もいれば暗いレンズを通して見る人もいるこれは気質と呼ばれる

 


 人間の脳にはかつては爬虫類から受け継いだ、生存に必要な皮質下の神経回路があり、その上に初期の哺乳類から受け継いだ大脳辺縁系と呼ばれる情動システムがあり、その周囲を人類独特の理性を生み出している大脳皮質が乗っているというカール セーガンのエデンの恐竜のモデルは一般に人の進化のモデルとしてわかりやすく説明し、この説は知能の源流のモデルとして広く受け入れられてきた。しかし最近では全ての脳の部位が、あらゆる脊椎動物に備わっていることが明らかになり、人間の脳もまた、全ての判断や行動は内受容体の影響をうけていて、それから免れられないように解剖学的にできていることがわかってきた。


 世界は、様々な刺激、電磁波、音波、超音波、熱、などで満ちた混沌の世界で、この地球上の環境で、人は目覚めている時は常に、目、耳、鼻、舌、皮膚から情報を受け取っている。脳は過去の経験をつかって、シミュレーションし、このノイズだらけの情報と比べて、あったもの選びいらないものを無視し、意味を創りだす。見る、聞く、触れる、嗅ぐといった活動は外界に対する反応ではなく、それに対する脳でのシミュレーションである。ジョン リリーの感覚遮断(アイソレーション)実験のように下界からの刺激がなくなった時にも、脳は活発に活動し、新たに世界を組み立てる。


 様々な感覚の取り入れた刺激の情報が、ノイズでなく例えばミツバチがミツバチであり、それに触れれば刺され、それを避ける行動を起こすためには、ミツバチの色と形と羽音の感覚をち取り入れ、過去の経験からミツバチと判断し、刺すことの危険を予測して行動に移す、こうして脳は進化してきた。


 感情は、脳が周囲と体の中で起きていることをまとめあげてでつくりだされる。体内の刺激を受け取る、内受容体というものがある。その役割は、脳にとっては、自分の体もまた外界の一部に過ぎない体の中からの情報の理解とコントロールにある。心臓の動き、息をする、体温の変化などのあいまいな感覚の情報が、ノイズとともに脳に送られる、脳はこれらの感覚を意味あるものにして捉えることが必要となる。そのための予測を行う。感覚がとらえた外の世界を脳が解釈するのと同じ方法で、体内の動きをとらえ予想する。


 その内容は快、不快、興奮、清浄感などである。この内部の感覚、内受容のネットワークが体のあらゆる部位の情報を受け取って、蓄積された過去の感情的記憶から予想し、感覚入力と照らし合わせ、睡眠と食欲を調整し、心臓の鼓動や息の荒さを調節し、アドレナリン、エンドルフィン、セロトニン、オキシトシン、ドーパミンなどの出方を調節する。そして人の体を動かし、行動し、この世界を生き延びる。


 感情は、人を行動させるためにある。人は24時間内受容と感覚入力を使って予測し行動する。朝目覚めた時の気分、爽快なのか、憂鬱なのか、活動力が溢れているのか、退屈で倦怠感を感じているのか。人は爽快な気分になれば、活動を起こし、憂鬱な気分に襲われれば閉じこもる。 人は日々の生活で、気分、感情を情報として使っている。この食べ物はおいしいか、この人は信頼でき近ずいていいのか、あるいは危険で避けたほうがいいのか。

 これは知覚だけでなく、心の中で起こっていること全てに共通の出来事で、脳はシミュレーションしていくつかのものを一つにまとめ概念をつくり、別のいくつかのものを切り離す。概念を使って、外からの感覚刺激と、体内からの刺激の両方に意味を与える。このようにして胃が痛んだとき、その情報から空腹、ストレス、不安などの実態をつくりだす。この時の不安の気分は、痛みから生み出された情動である。情動とは、外界で起こっていることの関係が、胃の痛みなど体の感覚が何を意味するかをめぐって創りだされたもの、脳の生み出したものである。この感情、情動や欲望が人々に、大脳皮質を使って計画を立てさせ、行動に駆り立てる。


 感情は決断に必要である。内受容体のネットワークは、どこに集中すべきかを決めるの組織で、何かの事故で傷をうけると、意思決定が損なわれる。ある患者は、大怪我で脳の一部を損傷し、計算や活動などあらゆることは普通にできたものの、活動すべきか何をすべきかの舵がなくなり判断ができなくなってしまった。情熱、欲望や感情といった情念は知恵の獲得に必要なだけでなく、あらゆる判断に必要であることがわかった。


 愛犬家は、我が家の愛犬の喜怒哀楽をあらわす感情ががあると信じています。ではこれが人と同じ感情の生成メカニズムなのか。あるいは、イルカやクジラは感情を持ち、お互いにコミュニケーションを行い、親子関係を作っているのか。今、これらの動物も喜び悲しみ恐れなどの感情を持ち、生活を行なっている。そして高度な脳神経のネットワークを持ち、ドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質が存在し感情を調節していることがわかってきました。


 イルカやクジラの他に象や猿、一部の鳥類は感情を持っている可能性が高く、たこやいかなどにも感情がある可能性が示唆されています。生物は脊椎動物だけでなく、クラゲやタコも進化の過程で、外界を感じ、この感覚を頼りに行動を起こす、さらにこれを経験とする意識する感性がどこかで生まれた。生物の進化とともに、どこかの時点で、しだいに生き物の中に生まれてきたのは確かである。

 内的なできごと、経験にもとずく主観がタコなどの頭足動物にもすでにあるのか、体を制御するシステム、神経系を持った動物、脊椎動物で初めて現れるものなのか、高等動物に限られるは未だ解っていない。 さらに、神経が明滅するニューロンででき、それが感情や意識を生み出すとしたら、進化したAIもまた感情や意識を生み出すかもしれません。


ものごとは心にもとづき、

心を主とし、心によってつくり出される。      仏教経典「ダンマパダ」


2024/02/23

バブルの生まれるところ



 サバンナで人類は生まれ、飢餓、病気、捕食者からまぬがれ知性を進化させ、生きてきた。人間は意識する自分が、充分な情報を持っていない時、行動に移すのは、私たちを支配する感情である。


 17世紀オランダは世界の覇権国となった。16世紀末、トルコ原産の珍しい球根がオランダに持ち込まれ、この球根は、様々な形の綺麗な花を咲かせ、人々はそれを買い求めはじめ、チューリップの球根の値段は見る見るうちに上がり、貴族も庶民もそのチューリップ熱に取りつかれた。これが歴史に残るチューリップバブルの始まりで、1634年から1637年の数年間にかけて人々は土地、宝石、家具を売ってチューリップの球根を手にれようとして奔走した。

 18世紀にはオランダに代わってイギリスが覇権国家となった。1711年イギリスの国策会社南海会社が設立された。そして南米での貿易を一手に担うことになった。この会社の株は値上がりし、国王や議員たちも、あらゆる階層の国民は、これらの新会社の株を求めて殺到した。そしてこの南海バブルも数年で崩壊し、バブル防止法がイギリス議会で制定された。1720年のバブル崩壊で大きな損失を被ったニュートンは後に「私は天体の動きは計算できるのだが、人間の狂気ばかりは測りきれない。」と書いている。


 20世紀に入ると覇権国家アメリカは、1928年から1928年に壮大なバブル時代を経験した。1929年のこの暗黒の木曜日以降、30年代の大恐慌の時代になっていく。その後、今世紀に入っても、アメリカITバブルや不動産バブルがアメリカで起こり、世界に広がっていった。

 日本でもやはりバブルは起こった。多くの人の記憶に残っているように、1960年から30年後の1990年にかけて日本中の投資家たちは熱狂した。土地の値段は70倍になり、日本の地価の総額は、アメリカの全土の5倍になり、日本の首都圏だけで、アメリカ全土と同じ値段になった。株価も1955年から1990年で100倍に上がり、1989年には日本の株価は世界株価全体の45%にもなった。高級な服や家具や車を人々は買い求め、土地やマンションは投資の対象となり、不動産の投資はブームになった。1989年の株価はピーク時に4万円近くに達した。それが2年後には1万4300円と63%も下落した。そしてバブルは崩壊し日本の経済は失われた30年間と呼ばれるようになった。今年になり株価は上がり当時の最高値を超えて、史上最高値になった。



 バブルの初期では、楽観的な感情が個人個人に高まり、他の人の反応や共感が共鳴し、次第にそれが社会に広がり、報道され、人々を陶酔させる。バブルは人間の心の報酬システムを使って、経済的利益に対する期待を高める。この行動の原動力はサバンナで生き残るために適応した感情である。感情はサバンナで食料を求め、本当にそれが手に入るかどうかはわからなくてもワクワクした気分になり、新しいものをみつけ、結果はわからなくても、食べ物が手に入るかもしれないという期待感がドーパミンを放出させ、行動に駆り立てる。その報償システムが働き、時には食べ物の果物が手に入り、時には期待外れに終わる。脳の感情の役割は、お腹が減っている時、食べるものを見た時に脳がドーパミンが放出され、食べたいという欲求を促す。感情が湧いて、脳から、体に連鎖的に反応を起こし、活動し食べ物にありつく。そして体内のモルヒネと呼ばれるエンドルフィンが満足感をもたらす。

 サバンナの刻々と変化する自然の中で、生きぬくための行動をする。結果的にその行動が成功すれば、それが習慣となり意味あることになる。意味ある行動の原理によってサバンナ時代と同じように人々の感情は動き、人々は共鳴し、陶酔しバブルとなる。やがてバブルは、万有引力の法則と同じように、ピークを超えると価格は、少しずつ下がり始め、人の心に恐怖や不安が広がり、やがてバブルは完全に崩壊する。


 なぜそれが起きるのかを説明する行動経済学という学説が、今世紀になり広く認められるようになった。経済も合理的判断ではなく、感情で動いている。人は自分の信念や能力に対する過信と、将来に対する過度の楽観主義がある。悪いことの起こる確率を過少評価し、過去の楽しい記憶を使って、未来を描く。未来を過去の経験の繰り返しと想像する。そして過度の楽観主義に陥る。さらに、新たな情報を自分に良いほうに解釈する、知識の錯覚が起きる。

 群の心理 個人個人が集団で行動するとき、まちがった考えは訂正されず、集団思考となって群を支配する。そして根拠なき熱狂は生まれてくる。さらに人の心は損失に対してより痛手を感じ、損失を回避し、損失をより少なくする行動を取りたがる。


 人々の経済活動を支配しているのは感情であるとする行動経済学が認められるようになったのは脳神経の研究が進歩したためです。人間の行動に脳のどの部位が働いているのかがPETやMRIを使った画像診断で明らかになってきました。脳神経における感情は扁桃体とその周辺の活動によるもので、理性は大脳の新皮質の働きです。


 初めはラット扁桃体と新皮質との関係の分析から、感情の行動に果たす役割の研究は始まった。ラットの新皮質は感覚、見たり触れたりしたものを意識して、行動する。それとは別に危険な状況に出会うと、ラットの扁桃体が直接に働いて情動と結びついた新皮質には関係しないルートを使って情動的反応から行動する。 同じように、人間もまた、意識する脳である新皮質とは別の、無意識の怒りや、恐れ、羨望、冒険心や挑戦、意欲といった感情から行動にうつす場合があることがわかってきた。 

 怒りの感情は危機に立ち向かわせる気持ちを起こし、不安や恐怖を感じた時にはアドレナリン出て、脈は早鐘を打ち、血液は全身に送り出され、突撃に備え、恐怖心を消し去ってしまう。悲しみや、憂うつはリスクに対する不安を起こし、行動は慎重になりその場にこもったり、撤退を考える。 


 ある脳の怪我をした人が、記憶力や、視力も、手や足や全身の活動、合理的な思考が保たれていながら、日常生活で決めて判断する能力、決定する能力だけ無くして、感情活動が低下し日常の生活を台無しにした人を報告している。感情が行動に意味を持たせて、行動を決めている。感情は意識する脳が世界をどのように捉えるかまで決めていく。過去の経験は感情と結びついて記憶され、それに元ずいて行動を起こし、未来を予測することができる。


 サバンナの環境に適応し、生き残った人類は、環境は変わった現在の世界でも、合理的な判断だけではなく、感情で支えられて、過激な行動や愚かな行動を起こしている。この行動の原理が、経済も宗教や政治も感情の虜から逃れることのできないわけが、脳の神経生物学的研究で解明されつつあります。



2024/02/11

感情の生まれるところ



 ボロゴンジャ川から、エメラルドのような緑色をしたなだらかな丘が、一定の間隔で生えた木々とともに広がっている。地平線まで一望できるが、至るところに木々が小さな木立をなして点在している。草原はこれ以上ないほどの緑色に染まっている。動物たちはあらゆる丘を覆い、一頭で、あるいは群ををなして平原に立ち、木立に出たり入ったりし、低地ではエサを食べている。アフリカのセレゲティは人類が誕生したサバンナで、そこではヌーやシマウマ、ゾウやキリンなどの大型草食の哺乳類とそれらを捕食するライオン、チーターやハイエナなど野生動物の王国である。


 そのサバンナで人類は生まれ、飢餓、病気、捕食者からまぬがれ知性を進化させ、生きてきた。人間は意識する自分が、充分な情報を持っていない時、行動に移すのは、私たちを支配する感情である。

人類はアフリカで200万年ほど前にホモ属が生まれ、その中で現生人類が生き残った。その祖先から生まれた現代人の脳の中では、誰もが、1日に何百何千の感情が生まれ、忘れ去られている。つらい感情や、不安を感じない人はいません。いつも幸せな気持ちでいられないなら、感情などないほうがいいとさえ思いたくなる事さえあります。


 実際それはあり得ない、無理な事です。 人類が地球上で存在し、生き長らえたのは、その不安や、恐怖の感情があったため危機から逃れることができた、絶対に必要な働きをするものでした。 今より危険に満ちた環境のサバンナでは、人の生存を脅かす危険な状態に出会うと、心は激しい恐怖や危機感を感じ、すぐに反応して行動する。起こされた行動の結果で、生るか死ぬかは決定ずけられます。これが感情のもっとも重要な役割で、人の体と脳は気分良く暮らすために進化したのではなく、この地球上で生き延び子供を残すために進化してきたのです。感情が、人の行動を決めるのです。その決断が、環境に適応しなければ命を失います。時には危険な相手に向かっていったために、命をなくしたり、時にはじっとしていて逃げる行動を取らないで相手に捕食されれてしまったりします。空腹を感じると、食料を求め食べて、満足する。それからしばらくすると、また空腹感が訪れ、再び食料を求める。これと同じように、幸福感も脳で感じるのは、ほんのわずかの時間で、すぐに心は移ろい生存ために感情は働き始めます。

 

 その感情の生まれるところは、最近の脳の研究でかなり詳しくわかってきました 昔々、人類が生まれ、生存のために役立っていた不安の正体は、扁桃体が働いて、何かおかしいと体に働きかけるシステムが出来上がりました。この側頭葉の奥深くにある扁桃体は、いろいろな知覚の刺激が大脳に届く前に、チェックする役割であり、人の体に危険が迫ると、この扁桃体が瞬時に働いて、強い不安感が起き、パニック障害に近い状態に体はなり、危険を回避します。 不安は危険の先取りの状態です。危険かもしれないあるいは何かおかしいという、漠然とした非常に不快な感情を言います。その役割を扁桃体が果たし、 目で見たり、耳で聞いたりする情報は、その後に脳の視覚野や聴覚野という部位に到達します。そして、起こっていることは何かがわかるのはその後のことです。このできごとが命に関係のない、何でもないことだと大脳が認識すれば、不安は消え去ります。不安感が扁桃体の過剰反応だとわかり安心するからです。



 人を行動に駆り立てる原動力は一体何なのか。ある日目を覚ましたとき、気分が妙に落ちこんだだ日もあれば、爽快で、何かをしてみたくなる時もある。人の心は、ある時は沈鬱になり、ある時は浮き浮き陽気になる。なぜこれほどまでにくるくる変わるのか。それは脳が感情を使ってその人を動かそうととするためで、これもまた人類の生存に必要な心の動きです。

 脳には海馬という記憶をする場所と、そのすぐ前に扁桃体並んでいます。この生存に重要な扁桃体の働いた時の、まるでついさっき起きたことのような鮮明な記憶は海馬に保存され、危険の回避に役立っています。楽しい記憶より、事故や災害の時の恐ろしい記憶は忘れようとしても、忘れられなくして危険から身を守り生き残りに役に立つようにできています。しかしこれが過剰にになれば、PTSDとなり、何度も何度もフラッシュバックし、思い出してしまう状態も起こります。


 そもそも記憶もまた固定したものではなく、正確に像として残っているわけでもありません。人の心は記憶された物事を、喜びや悲しみ、幸せな気分と不安や恐怖の感情とともに物語として創作しています。逆に感情を伴った記憶は、それを使ってその人の活動をコントロールする道具となります。高い崖から飛び降りるべきか、踏みとどまるべきか、水の中に飛び込むべきか、相手と戦うべきか、逃げ出すべきか、この時の行動は自信に満ちた記憶を思い浮かべるか、失敗した苦い記憶を思いだすかにかかっているからです。


 人々の生活する地球上には、様々な天変地変や自然の災害、あらゆる生き物の活動によって、予測できない、理不尽な事柄に満ちている。人は知性のみで生き残ったわけではなく、感情を揺さぶられる体験の記憶を使ってからとっさの行動で危機を逃れて生きてきました。この役割は脳の中の側頭葉の奥にあり、外からの情報を受け取り、体の中からとの情報を集めて、それをまとめ判断して、感情が生まれて来るわけで、知性はその後ゆっくりと大脳とともに発達してきました。そして理性は情念の奴隷になりました。



 ゆられ、ゆられ

もまれてもまれて

そのうちに、僕は

こんなに透きとほってきた


だが、ゆられるのは、らくなことではないよ。


外からも透いてみえるだろ。ほら。

僕の消化器のなかには

毛の禿びた歯刷子が一本、

それに、黄ろい水が少量。


心なんてきたならしいものは

あるもんかい。いまごろまで。

はらわたもろとも

波がさらっていった

                         クラゲの唄  金子光晴


2024/01/08

地震の記憶、心の記録 鴨長明の方丈記

 


 山は崩れて河を埋(うず)み、海は傾きて陸地(ろくじ)をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌割れて谷にまろび入る。渚漕ぐ船は波にただよひ、道ゆく馬は脚の立(たち)どをまどはす。


 方丈記のこの文は、鴨長明31才の時起きた時の記憶をもとに書かれたもので、都の東部琵琶湖の西岸に1185年(元暦2年)7月9日に、マグニチュード7.4と推定される大地震が起きた。「京の都の洛中洛外の民家や神社お寺は、ことごとく倒壊し、その音は、雷のようで、立ち上る塵はあたかも煙のようであった。龍であれば、雲に乗って逃げることができるのだが、羽がないので空を飛ぶこともできない。この世で最も恐ろしいのは地震なり。その後に余震がしばらく続き、日に20回30回と震え、それが10日、20日とすぎて間遠になり、やがて1日に4、5回、1日に2、3回、やがて1日おき、2、3日に1度となり、3ヵ月後にようやく収まった。」


 869年に貞観地震、887年に仁和地震が起こっている。これらは東日本大震災と同じ海溝型地震の可能性が強く、これらの後に起こった元暦の地震は、阪神大震災と同じ直下型地震と推定される。この元暦の地震のことを、4年前に死んだ平清盛が竜になって起こしたと「愚管抄」の中で、慈円も書き記している。


 鴨長明は、和歌の達人天台宗座主慈円と同じ年、1155年、下鴨神社の摂社の正禰宜の次男として生まれる。その京の都では、長明の生まれた翌年1156年に、保元の乱が起き、その後も大きな天変地異に次々と見舞われた。方丈記には長明が記載した災厄として、大地震のほか「安元の大火」「治承の辻風」「福原遷都」「養和の飢饉」を世の不思議として取り上げている。


 あるじはと問ふ人あらば女郎花やどのけしきを見よと答へよ


 1177年、長明23歳の時、安元の大火で、都の3分の1が焼かれ、3年後の4月には、竜巻により再び甚大な被害を受け、同年の6月に清盛は福原遷都を強行する。この23歳の時父親が死亡、父のあとを継ぐことを望んでいたものが、その後ろ盾を失い、自称孤児となってしまう。そして、長明26歳の時、新都福原を見るために、摂津国、今の神戸を訪れた。上の歌は摂津旅行の門出に詠んだものである。


「治承四年水無月のころ、にはかに都遷り侍りき。いと思ひの外なりし事なり。家はこぼたれて淀川に浮かび、地は目の前に畠となる。」「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしある人は皆浮雲のおもひをなせり。」


 神戸の福原は、「この地は狭く、条理をわるに足らず、北は山に沿って高く、南は海近くてくだれり。波の音つねにかまびすしく、しほ風ことにはげし。」そして空き地が多く、家がなかなか建たず、天皇や貴族は福原に移住し始めたものの、実際半年後には、そこを引き上げ京都に戻る。福原遷都は失敗に終わり、翌年には平清盛は亡くなる。


 我はただこむ世の闇もさもあればあれ君だに同じ道に迷はば


 その年、1181年、長明27歳の時、初めての歌集「鴨長明集」を百首詠んだ。それは、宮廷人ではない市井の人の心情を歌った和歌であった。その後はその時代の風潮に近い定家などの宮廷風の和歌を取り入れて、作風を技巧的な歌に変えていく。そうして、47才で後鳥羽院の和歌所の寄人に呼ばれ宮廷歌人の一人となる。後鳥羽上皇の勅撰和歌集である新古今集には10首の和歌が載せられた。


 1204年、長明50才の時、下鴨神社の禰宜の職に欠員ができ、長明は長い間望んでいた職につけるはずであった。しかし今度も実現せず、出家を決意し、京都北部の大原に隠棲する。5年ほどのち大原から、京都の南、日野の山中に住まいを移し、和歌を詠み、琴や琵琶を弾き、文筆活動に専念した。

長明は、方丈記を書いた前の年1211年、将軍頼朝の御忌日鎌倉を訪れ、源実朝に会い、一首の和歌を詠み堂の柱に書き記した。


 草も木も靡(なびき)し秋の霜消えて空しき苔を払ふ山風


 草木もなびく頼朝の没後、世が虚しい空白となり、山嵐が空しく吹く情景は、実朝と会い和歌の、詩人どうしの会話の後、長明の残した一首であった。荒涼感漂う無常の歌であった。それは実朝の和歌の指南役になれなかったためか、あるいは鎌倉幕府への失望感か、何れにしても、長明の万感の思いが込められている。


 翌年長明58才の時1212年「方丈記」を書く。新たな試みの新しい文体で、世間と自然を描いた。長明が20才から30才代に経験した災害で京の都が崩壊し、飢饉で亡くなる人々の様子をリアルな筆致で描き出した。自らの住まいも次第に縮小し、方丈庵になる様子は、「旅人の一夜の宿をつくり、老たる蚕の繭を営むがごとし。これを中ごろのすみかに並ぶれば、また百分が一に及ばず。とかくいふほどに、齢(よわい)は歳々に高く、すみかは折々に狭し。その家のありさま、よの常にも似ず。広さはわずかに方丈、高さは七尺がうちなり。」

 茶室のようなその住まいに、阿弥陀仏と普賢菩薩の絵を掛け、机には法華経を置く、竹の吊り棚の上には、竹編みの箱。その中には和歌の書、音楽の書、仏書の抜き書きを入れた。そばに折りたたみ式の琴と琵琶を立て掛けた。そしてその庵での暮らし、里山の中の自然の中の隠遁生活を楽しんだ。日野山のふもとの方丈庵の近くには、山守の小屋があって男の子が住んでいた。


「かれは十歳、これは六十。その齢(よわい)ことのほかなれど、心なぐさむること、これ同じ。或いは茅花(つばな)を抜き、岩梨(いわなし、ツツジ科の植物)を採り、零余子(ぬかご 葉の付け根の球状の芽)を盛り、芹(せり)を摘む。或はすそわの田居にいたりて、落穂を拾ひて穂組をつくる。」

子供たちと遊び、春の藤の花、夏のほととぎす、秋のひぐらし、冬の雪に囲まれて、時に曲を弾き、時に読経をし、時に仮眠をした。


 こうして、世を捨て、名利を捨て、住まいを捨て、「ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづからの情(こころ)をやしなふばかりなり」として山林に暮らした。しかし、「汝、姿は聖人にて、心は濁りに染めり、すみかはすなはち、浄名居士(インドの高僧)の趾をけがせりといへども、たもつところはわずかに周利槃特(ブッダの弟子でダメ弟子)が行ひにだにおよばず。もし、これ貧賎のみずから悩ますか、はたまた妄心のいたりで狂せるか。」しかしその問いに対して心は全く答えず。ただ念仏を2、3回唱えて終わった。

「建暦二年、弥生の晦日ごろ、桑門の蓮胤(長明の著者名)、外山の庵にして、これを記す。」で方丈記を書き終えた。


 その後、長明は方丈庵の閑居を愛する心を捨て、心を養うという世界から、さらに仏の教えのままに牧士にならんとして「発心集」を書いた。しかし、往生要集などと違って「道のほとりのあだ言の中に、我が一念の発心を楽しむばかりなり。」を発心集の序の結びにし、1216年(健保4年)62歳で亡くなる。


2023/12/13

  京の絵師 与謝蕪村




 やぶ入や 浪花を出て 長柄川


春風や 堤長うして 家遠し


薮入りの 寝るやひとりの 親の側

                     春風馬堤曲          蕪村


 やぶ入りとは正月と盆の16日前後に、奉公人が親元に帰る休暇。


 蕪村は1716年(享保元年)徳川吉宗の時代に生まれる。同じ年に京の青物問屋に生まれた、若冲がいた。蕪村の出生地は、大阪の北の郊外、淀川沿いの毛馬村で、春風馬堤曲は生まれ故郷、毛馬村の原風景を描いている。 関ヶ原の戦いから100年、国内には大きな戦争はなく、人々は天下泰平の世に暮らしていた。しかし徳川幕府は、この時代極端な財政赤字で、それを立て直すため徳川吉宗は改革に乗り出していた。享保の改革と呼ばれる政策で、幕府自らの歳出削減のための倹約に努め、収入を増加させるための、年貢の取り立て強化しそして、新田開発と殖産興業を推進し財政再建をおこなった。

 20才の頃、大阪を離れ、江戸に向かい巴人という俳人のもとで俳諧を学ぶ。巴人は居を「夜半亭」と名ずけそこに蕪村は住み込む。27才で師匠と死別。その後、あちこちの遊歴を重ね結城で早見晋我の世話になり住む、75才の早見晋我と死別、「北寿老仙をいたむ」をつくった。


君あしたに去ぬゆふべのこころ千々に

何ぞはるかなる

君をおもふて岡のべに行つ遊ぶ

をかのべ何ぞかくかなしき

たんぽぽ(蒲公)の黄になづな(薺)のしろう咲たる

見る人ぞなき


我庵のあみだ仏ともし火もものせず

花もまいらせずすごすごとたたずめる今宵は

ことにたうとき


 師と別れ、芭蕉と同じ奥州に浄土宗の僧の衣を着て、旅をする。1751年36才の時、京に戻り、宮津や讃岐を訪れる。その後、京に定住し、1770年55才の時夜半亭二世をつぐ。


 

 18世紀後半、幕政は田沼意次がになった。田沼意次は蕪村や若冲の4年後1719年に生まれ、父親は足軽の身分であったが、徳川家治の信任を受けて、側用人になる。そして、徳川政権の初めから続く農村のコメ作中心の経済を、商業に重点を移し、近代的貨幣経済を取り入れ、経済活動を活発にしていった。 新田開発、蝦夷地開発、薬草の国産化などを行いコメ以外の産業を起こし、株仲間を多くの業種、油、青物市場、鰹節、薬、廻船などで認め、その運上金を幕府の税収とした。1760年からの27年間は、幕府は田沼時代と呼ばれ、近代化政策で町人文化が発展した。

 戦いもなく、豊かになり、京都、大阪、江戸の3大都市では徳川時代で最も文化が花咲いた時代であった。上田秋成は大阪で小説を書き、伊藤若冲や円山応挙などが京都で画家として活躍し、蕪村も俳句とともに陶淵明の世界を池大雅とともに絵画にした。江戸では、平賀源内や狂歌で知られる大田南畝、黄表紙作家の山東京伝などが活躍した。


 芥川龍之介は「蕪村も一朝一夕に蕪村になった訣ではありますまい。わたしはその精進の跡をはっきり知りたいと思っています。」蕪村は、京都に戻ってから、清朝の画家、沈南蘋の模写をしたり、中国の王維の世界に憧れ、明の絵画に学び、俗世界からの離脱の絵を描いた。晩年にはそれから離れ、日本的な絵画に発展していった。そして、俳句と絵を合体させた俳画を作り出した。


 1771年大雅と蕪村の合作、十便十宣図ができた。当時の京都の画家の名前に、応挙、若冲、大雅、蕪村がある。18世紀の京都には多くの画家や、俳人や、小説家などの集まる人々の文化サークルがあった。そこに、中国文化の影響が見られる。黄檗宗の僧の持ち込んだ煎茶を飲み、中国の小説を読み、そして絵師は中国の絵画を学んだ。1731年徳川吉宗は絵画を好み、その招へいに応じて、中国人画家の沈南蘋が長崎を訪れ、1733年まで滞在した。そしてその写実的画風が日本人画家に大きな影響を与え、蕪村だけでなく、円山応挙、伊藤若冲、司馬江漢などもその画風を学び取り入れた。


      南蘋を牡丹の客や福西寺


 黄檗宗の福西寺に、中国の花、牡丹の咲く時に、中国浙江省生まれの中国人画家、南蘋を招く情景の俳句を蕪村は残している。黄檗宗は江戸時代に中国の禅宗の一派で、明朝の滅亡とともに中国から逃れ、日本に渡った禅宗の一派で、太鼓や中国楽器、銅鑼の音を境内に響かせ、中国語の読経で寺の中は満たされていた。


 京都に定住してから、百川の下で、山水人物画や俳画を習い、沈南蘋の精密花鳥画を模写し、次第に絵画の技術を身につけ、晩年に蕪村独自の画風を確立する。明画風の作品から、日本的な蕪村独自の絵に発展させていく。 


      筆濯ぐ応挙が鉢に氷哉


 円山応挙と親しかった蕪村は、応挙の制作の場を描いた。応挙の犬の絵、蟹や猫の絵に蕪村の句の合作作品も見られる。応挙の登場で京都中は新しい技法を身につけた写生を重視する応挙の絵画が席巻し、朝廷もこれを重用した。18世紀の京都文化、京都の絵師たちはその後も影響を残している。蕪村も子犬を描いた。円山応挙は写生を重視して、丸々とした子犬のふわふわした毛が特徴の子犬を残し、応挙の弟子長沢蘆雪の描く子犬は芦雪犬と呼ばれまん丸な体の生後間もない紀州犬をえがいて、今でも人気がある。



     月天心貧しき町を通りけり


「月天心に到る処、風水面に来る時。一般の清意の味わひ、料り得たり人の知ること少なるを」澄んだ月が天空に登る。風邪は水面を吹く。この清々しい気持ちを知る人は少ない。中国の「古文真宝」の「清夜吟」のなかの邵康節の漢詩の世界である。蕪村は唐の詩人王維とともに、古文真宝から多くの漢詩を学び、その思想に共鳴し、俳句にした。


そして上田秋成と俳人几董を通して親しくしていた。蕪村の死にあたり、秋成はこの漢詩、東風の世界を共有する友を悼み、句を送った。


   かな書きの 詩人西せり 東風吹きて                上田秋成


2023/11/20

帰らざる日々 日本の今

 


「恍惚の人」は1972年に出版された、有吉佐和子の長編小説。同居している義父の認知症が進行し、その介護に振り回される家族の生活や当時の社会が描き出され、今でも古風にならない、切実な問題を扱っている、当時は病気の実態もわからず、介護も施設がなく、家族が全てを抱え込んでいた。そして息子は父親の介護には関わらず、奥さん一人が献身的に介護する姿が描かれている。

 1960年代から1970年代の日本は若者の人口は非常に多く、若い人々のエネルギーが日本中にあふれ、東京オリンピックで盛り上がり、政府に抗議する運動も全国で起こり、大阪万博にも人々は殺到した。やがて多くの人口が日本の生産活動を支え、ものを作り、消費した。経済は活動力を高め、人々は豊かになり、GDPがアメリカに迫りつつあった。

 その後もさらに経済は活況を呈し、バブル時代を迎える。バブル崩壊以後失われた30年と呼ばれる長期低迷経済に日本は陥る。2008年に日本の人口は減り始め、地方では商店、飲食店なども減り始め、学校も閉鎖され、街はシャター街ができ、空き家や空き地が目立つようになった。その後も生産人口は減少し、所得税を支払う人口はますます減少し、税を払わない人が増え、養うべき人口は増加し、高齢者だけで3000万人となる少子高齢化の社会に突入した。

 

 この高齢化社会のもとで、社会福祉にかかる費用は増大してきた。世界的に少子高齢化は進んでいる、しかし日本は突出して老人人口が増えた。2005年に退職者一人は3.1人が支えていたものが、2020年には2.1人で一人を支えることとなった。日本の約30%に比べ、今年アメリカの65才以上の人口は約17%、カナダ、イギリスは19%、ヨーロッパは22%から24%であった。高齢化で福祉費用のうち医療費とともに介護費用は急激に増加してきた。2010年に比較して2倍以上に膨れ上がっている。

 認知症の社会の認識も進み、支える介護もできているものの、最近でも、介護を一人で抱えこみ、認知症の奥さんの世話に疲れ果てて殺害に至る事件が起きている。日本の認知症の人は高齢化とともに増加し、2025年には675万人になる予想で、65才以上の人の5.4人に一人がそのための介護が必要となる。そのほかの病気も抱えることになる65才以上の人口はその頃には30%を超え、日本の社会はそれに対する医療や介護の人材医療、介護の施設、それを裏づける予算が必要となる


  少子高齢化は労働人口が減り、生産し働く人口が不足する。その減った人口で増える老齢者人口を支えることになる。さらに労働人口のうち今後1000万人の介護医療の人材が必要となりその数は製造業の従事者を上回ることになる。働き手となる労働人口が減り、どの分野も人手不足になると、経済の成長は望めない。さらに稼ぎ手である人口は減って、支えられる人口が増えればその人たちの生活を少ない人々が支えなければならないため、社会負担はどんどん増えていく。人口減少が続けば、いずれ消費や投資が減退し、最終的に失業と貧困が増加し、出生率の低下と高齢化が高まることによって、労働意欲、労働生産性が低下し、広範な社会心理的停滞が引き起こされる心配がある 


 1970年ノーベル経済学賞受賞のホールサミュエルソンは社会保険の本質はそれが保険経済的に不健全なところにある。誰であれ退職年令に達すれば給付金を受け取る権利が与えられる。それは自分が払った拠出金をはるかに上回る。なぜこれが可能か、それは人口が増加する国では若者の数がつねに老人の数を上回るからだ。人口が増え続け、所得が増え続けることが条件となる。これは年金だけでなく、医療費や介護などの社会保障費にもあてはまる。



 戦前からヨーロッパの各国では少子化の対策がたてられていた。日本も1970年の後半から80年代にかけて出生率の低下が見られるも、一過性の現象で、国が産むことを奨励することには国民は批判的であった。1989年出生率が1.59となり、少子化の問題に気がつき、それ以降、少子化対策に政府も乗り出した。しかし当時、それほど社会全体のひっ迫感はなく、対策は立てられたもののほとんど成果はなかった。その結果21世紀に入って、少子化とともに高齢化が進み、社会保障分野の支出がふくらみ、消費税では不十分で国債を20兆円から30兆円発行して税金の足りない分を補っていった。

 2001年小泉政権の時、国債発行額を30兆円以下にする公約で2006年に一度だけ国債発行の増加を停止した。同時に社会保障費の増大に枠をはめたためこの政策は批判された。 医療介護費用はその後も増加を続け、この社会保障費の増大に対応するための税収は不十分で、これを補うために、国債を多く発行し、予算も増加させた。2019年新型コロナの世界的流行でこの対応に政府は国債を2020年に112兆円に増額し、21、22年はそれぞれ60兆円台となった。そして22年末で合計1000兆円を超えている。政府が年金をカットしたり、増税をすれば反発が大きくなかなかできない。そのため赤字を補うために、国債を発行し続けて対応してきた。


 ドイツ銀行の高官が今年、投資家へのメモで「日本円のファンダメンタルズは非常に弱く、世界で最もパーフォーマンスは悪い。トルコリラやアルゼンチンペソと同じ部類に入る。」と述べた。


 トルコは2023年5月の大統領選挙前、エルドアン候補は金利の高いことは悪いとしてインフレ率が30%近くと高い中8.5%の金利にした。この中央銀行のマイナス金利政策は、これによってリラが安くなり、観光客は増え、輸出は活発になり、投資も増えると理論で、結果的に、リラの信頼性は低下し、通貨の下落にみまわれた。野党は金融政策の正常化、金利を上げてインフレを抑えるように主張するも選挙に敗れ、エルドアン大統領となり高インフレ、通貨安の悪循環が起きた。その後、この悪循環を止めるため、金融緩和策は中止して利上げを開始した。


 アルゼンチンは、やはり100%を越すインフレで、金利は133%。そのためペソの価値は低下し、ドル紙幣を抱えて高級車や高級マンションを買う人が急増した。今年10月の大統領選挙で、マサ経済大臣が減税や社会保障費の増額を訴えてトップになり、中央銀行を廃止し、アルゼンチン通貨をドルに変更し歳出を削減する過激で急進的政策のミレイ氏が2位となり、11月の決選投票に持ち込まれた。マサ経済大臣の減税や負担軽減政策は間違っている。状況は危機的で、生ぬるいその場しのぎの対策は許されない、年率140%を超えるインフレの根本的解決には今の中央銀行を廃止して、ペソを廃止して、ドルをアルゼンチンの通貨にして、バラマキ政策をやめると唱え、若者を中心とした支持が集まり、ミレイ氏の勝利に終わった。


 経済が混乱し、政治が対立すると選挙に有利な減税や社会保障の増額や金利を低くする政策は支持される。しかし、それが続くと国家の財政が破綻してしまう。 お上だのみの日本の風土であっても、政策を決める側が、日本国民に対して今の財政の状態や今後の見通しについて本当の事をわかりやすく説明する必要はあります。